ラカンはセミネールⅩⅩ「アンコール」の最後の講義で、
一者のシニフィアン[le signifiant Un]
=一者がある[y'a d'l'Un]
=S1 (S2なきS1[S1 sans S2])
を当時の彼の精神分析理論の核心として示した。
この一者のシニフィアン[le signifiant Un](一者がある[y'a d'l'Un])とは、セミネールⅩⅩⅢ「サントーム」で示された現実界の症状「サントーム」のことである。
事実上、サントームは「一者がある」である[le sinthome en fait, c'est …Le Yadl'Un] (J.-A. Miller, L'ÊTRE ET L'UN - 18/05/2011) |
単独的な一者のシニフィアン、二者から独立した一者、S2に付着していないS1(S2なきS1[S1 sans S2])… これが厳密にフロイトが固着と呼んだものである[le signifiant, et singulièrement le signifiant Un – le Un détaché du deux, non pas le S1 attaché au S2…précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ]〔・・・〕 フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与えうる[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
享楽の一者の純粋な反復をラカンはサントームと呼んだ[la pure réitération de l'Un de jouissance que Lacan appelle sinthome](J.-A. Miller, L'ÊTRE ET L'UN - 30/03/2011) |
上にもあるように「一者のシニフィアン=サントーム」はフロイトの固着(固着の反復)のことである。
サントームは固着の反復である。サントームは反復プラス固着である[le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06) |
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ラカンは1974年末から1975年半ばにかけて、現実界の症状は刻印あるいは身体の出来事だと言った。 |
症状は刻印である。現実界の水準における刻印である[Le symptôme est l'inscription, au niveau du réel. ](Lacan, LE PHÉNOMÈNE LACANIEN, 30. Nov.1974) |
症状は身体の出来事である[le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps](Lacan, JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975) |
これがサントームである。 |
サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME. C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975) |
サントームは現実界・無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome, …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient ] (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
したがって、サントームの最も簡潔な定義は、身体の出来事である。 |
サントームは身体の出来事として定義される[ Le sinthome est défini comme un événement de corps](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/3/2011) |
この「身体の出来事」という定義は純粋にフロイトの固着(トラウマへの固着)ことである。 |
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
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ラカンはサントームのセミネールで、現実界の享楽はトラウマ=マゾヒズムとも定義した。 |
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[ la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert ](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
フロイトにとってマゾヒズムはリビドーの固着である。 |
無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇Anatomische Überschreitungen , 1905年) |
ーーしたがって、現実界の享楽は固着である。 |
かつまたラカンは現実界は母なるモノともした。 |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding. ](Lacan, S7, 16 Décembre 1959) |
つまり現実界の享楽としてのマゾヒズムは母への固着である。 |
マゾヒズムの病理的ヴァージョンは、対象関係の前性器的欲動への過剰な固着を示している。それは母への固着である[le masochisme, …une version pathologique, qui, elle, renvoie à un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet. Elle est fixation sur la mère, ](エリック・ロランÉric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001) |
おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年) |
「トラウマへの固着=母への固着」であり、これがマゾヒズムであるというのは、母に対して受動的な立場におかれた幼児の「身体の出来事への固着」ということである。 |
母は幼児にとって過酷なトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
マゾヒズム的とはその根において、女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年) |
母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的な性質のものである[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年) |
トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
ラカンの「一者のシニフィアン」は、事実上、この「トラウマへの固着=母への固着」に他ならない。
もっともフロイトは次のようにも記しているので、ここではシンプルに「一者のシニフィアンは固着である」としておこう。 |
(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』1905年) |
初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年) |
強い父への固着をもった少女の夢[Traum eines Mädchens mit starker Vaterfixierung,](フロイト『夢解釈の理論と実践についての見解』1923年) |
あるいは自己身体への固着[Fixierung an der eigenen Körper]と読める文もある。 |
自体性愛から対象愛への発展において、ある点に固着されたままのものがあり、それは自体性愛に近似する[Sie sind in der Entwicklung vom Autoerotismus zur Objektliebe an einer Stelle, dem Autoerotismus näher, fixiert geblieben. ](フロイト『症例ハンス』第3章、1909年) |
自体性愛とは自己身体愛である。 |
自体性愛。…性的活動の最も著しい特徴は、この欲動は他の人物に向けられたものではなく、自己身体から満足を得ることである。[Autoerotismus. …als den auffälligsten Charakter dieser Sexualbetätigung hervor, daß der Trieb nicht auf andere Personen gerichtet ist; er befriedigt sich am eigenen Körper](フロイト『性理論三篇』第2篇、1905年) |