ラカンの享楽の喪失[la déperdition de jouissance]はフロイトの愛の喪失[Liebesverlust]と等価である。 |
◼️享楽の喪失(喪われた対象の機能) |
反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]、そして間違いなくこの観点において、フロイト自身によって明示されたものは、このまさに反復において、何ものかかが生み出される。それは傷、失敗[défaut, échec]である 〔・・・〕 喪失と呼ばれる何ものかがあるのである[Il y a quelque chose qui est perte]。そしてこの喪失において、起源からの喪失において、私はここで要約するなら、フロイトは断言している。このまさに反復において、享楽の喪失があると[dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]. ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能の起源がある。これがフロイトである[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD.] (Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
これはフロイトの『快原理の彼岸』における次の文の言い換えである。 |
◼️ 愛の喪失[Liebesverlust] |
反復強迫[Wiederholungszwang]はなんらかの快の見込みのない過去の出来事、すなわち、その当時にも満足ではありえなかったし、ひきつづき抑圧された欲動蠢動でさえありえなかった過去の出来事を再現する。 幼時の性生活の早期開花は、その願望が現実と調和しないことと、子供の発達段階に適合しないことのために、失敗するように運命づけられている。それは深い痛みの感覚をもって、最も厄介な条件の下で消滅したのである。この愛の喪失と失敗とは、ナルシシズム的傷痕として、自我感情の永続的な傷害を残す[Der Liebesverlust und das Mißlingen hinterließen eine dauernde Beeinträchtigung des Selbstgefühls als narzißtische Narbe](フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年) |
冒頭のラカン文に「喪われた対象」とあるが、母の喪失=トラウマである。 |
(初期幼児期における)母の喪失(母を見失う)というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この喪われた対象[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
したがって享楽はトラウマである。 |
享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
享楽はトラウマの審級にある[la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011) |
さらにトラウマ的喪失(享楽の喪失=愛の喪失)はフロイトにおいて去勢であり、つまり享楽は去勢でもある。ーー《去勢は享楽の喪失である[ la castration… une perte de jouissance]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011) |
乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢[der Säugling schon das jedesmalige Zurückziehen der Mutterbrust als Kastration]、つまり、自己身体の重要な一部の喪失[Verlust eines bedeutsamen, zu seinem Besitz gerechneten Körperteils] と感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出生行為[Geburtsakt ]がそれまで一体であった母からの分離[Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war]として、あらゆる去勢の原像[Urbild jeder Kastration]であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註) |
享楽は去勢である[la jouissance est la castration.](Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977) |
以上、ラカンの現実界の享楽は、フロイトの愛の喪失=トラウマ=去勢である。 |
とはいえここで注意しなければならないのは、フロイトの愛には三つの審級があることである。対象愛[Objektliebe]、自己愛[Selbstliebe]、愛の欲動[Liebestriebe]である。このそれぞれがラカンの象徴界的欲望、想像界的ナルシシズム、現実界的享楽に相当する。 |
まずフロイトのリーベは、ラカンのナルシシズム、欲望、享楽である。 |
フロイトの愛=リーベ[Liebe]は、(ラカンの)愛、欲望、享楽をひとつの語で示していることを理解しなければならない[il faut entendre le Liebe freudien, c’est-à-dire amour, désir et jouissance en un seul mot. ](J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999) |
ナルシシズムの相から来る愛以外は、どんな愛もない。愛はナルシシズムである[qu'il n'y a pas d'amour qui ne relève de cette dimension narcissique,… l'amour c'est le narcissisme ](Lacan, S15, 10 Janvier 1968) |
次にナルシシズムは想像界、欲望は象徴界である(享楽は上に見たように現実界)。 |
愛と欲望…これはナルシシズム的愛とアタッチメント(愛着)的愛のあいだのフロイトの区別である[l'amour et le désir …la distinction freudienne entre l'amour narcissique et l'amour anaclitique]〔・・・〕 ナルシシズム的愛は自己への愛にかかわる。アタッチメント的愛は大他者への愛である。ナルシシズム的愛は想像界の軸にあり、アタッチメント的愛は象徴界の軸にある[l'amour narcissique concerne l'amour du même, tandis que l'amour anaclitique concerne l'amour de l'Autre. Si l'amour narcissique se place sur l'axe imaginaire, l'amour anaclitique se place sur l'axe symbolique ](J.-A. Miller「愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour」1992) |
そして享楽はリビドー=愛の欲動=死の欲動であり、これが愛の喪失=享楽の喪失に関わる。 |
享楽の名は、リビドーというフロイト用語と等価である[le nom de jouissance, … le terme freudien de libido …faire équivaloir. ](J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 10 -30/01/2008) |
リビドーは愛の欲動である[Libido est Liebestriebe](フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年、摘要) |
リビドーはそれ自体、死の欲動である[La libido est comme telle pulsion de mort](J.-A. Miller, LES DIVINS DÉTAILS, 3 mai 1989) |
ラカン自身からも三文抜き出そう。 |
すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort](Lacan, E848, 1966年) |
死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance] (Lacan, S17, 26 Novembre 1969) |
死は愛である [la mort, c'est l'amour.] (Lacan, L'Étourdit E475, 1970) |
重要なのはリアルな享楽としての愛の欲動は、喪われた対象を取り戻そうとする運動であり、究極的には母なる大地への回帰欲動、つまり死の欲動であることである。 |
以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年) |
人には、出生とともに放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年) |
以上、愛の欲動は死の欲動[Liebestriebe ist Todestriebe]であり、つまり享楽はエロスとタナトスの結婚である。 |
ラカンによる享楽とは何か。…そこには秘密の結婚がある。エロスとタナトスの恐ろしい結婚である[Qu'est-ce que c'est la jouissance selon Lacan ? –…Se révèle là le mariage secret, le mariage horrible d'Eros et de Thanatos. ](J. -A. MILLER, LES DIVINS DETAILS, 1 MARS 1989) |
死は、ラカンが享楽と翻訳したものである[death is what Lacan translated as Jouissance.](J.-A. MILLER, A AND a IN CLINICAL STRUCTURES、1988年) |
死は享楽の最終形態である[death is the final form of jouissance](PAUL VERHAEGHE, Enjoyment and Impossibility, 2006) |