2022年7月3日日曜日

固着は「あなたの中にあるあなた以上もの」である

 

モノは固着である」に引き続く。


①モノは外密(外にある親密ーー「外にある家」)という対象aである

私の最も内にある親密な外部、モノとしての外密[extériorité intime, cette extimité qui est la Chose](Lacan, S7, 03 Février 1960)

対象aは外密である[l'objet(a) est extime](Lacan, S16, 26  Mars  1969)


②外密は「あなたの中にあるあなた以上もの」という対象aである

私はあなたを愛する。だが私は奇妙にも、あなたの中にある何かあなた以上のもの、すなわち対象aを愛する[Je t'aime, mais parce que j'aime inexplicablement quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a).](ラカン, S11, 24 Juin 1964)

外密は、第一の場処においては、シニフィアンの大他者、主体にとっての外密である。しかしまた別の、対象としての外密がある。これが「あなたの中にあるあなた以上のもの」である[L'extime, c'est en premier lieu, l'Autre du signifiant, extime au sujet, [...] Mais il y a aussi un autre extime qui est l'objet, … : « En toi plus que toi ».](J.-A. Miller, L’Autre dans l’Autre, 2017)


③対象aは染みである

確かに絵は、私の目のなかにある。だが私自身、この私もまた、絵のなかにある。.…そして私が絵の中の何ものかなら、それは染みとしてある[le tableau, certes est dans mon oeil, mais moi je suis dans le tableau…si je suis quelque chose dans le tableau, c'est…, la tâche. ](Lacan, S11, 04 Mars 1964)

染みとしての対象a [L'objet petit a comme tache](J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -31/05/2000)


以上、モノ=固着=外密=染み=対象a=「あなたの中にあるあなた以上もの」である。

これらの用語がラカンの現実界であり、フロイトの固着である。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976

対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido (Lacan, S10, 26 Juin 1963)


固着はトラウマと等価である、《原固着 Urfixierung ]=原トラウマ[Urtrauma]》(フロイト『終わりある分析と終わりなき分析』第一章、 1937、摘要)。


したがって固着としての対象aは、トラウマ(穴)でもある。


現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974

対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou (Lacan, S16, 27 Novembre 1968


つまり、私があなたを愛するのは、あなたの中に書き込まれた私のトラウマ的固着を愛するのである。

私はあなたを愛する。だが私は奇妙にも、あなたの中にある何かあなた以上のもの、すなわち対象aを愛する[Je t'aime, mais parce que j'aime inexplicablement quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a).](ラカン, S11, 24 Juin 1964)




トラウマ的固着は主に幼児期の愛の固着に関わる。

トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]…ここで外傷性神経症[traumatische Neurose ]は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen ](フロイト『続精神分析入門』29. Vorlesung. Revision der Traumlehre, 1933 年)

初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年)


もっとも、《(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle]》(フロイト『性理論三篇』1905年)



人にはみな愛の条件の固着があるのであり、愛はこの固着に決定づけられている。

忘れないようにしよう、フロイトが明示した愛の条件のすべてを、愛の決定性のすべてを。N'oublions pas … FREUD articulables…toutes les Liebesbedingungen, toutes les déterminations de l'amour  (Lacan, S9, 21  Mars 1962)

愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである。L'amour est donc toujours répétition, […]Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour. (David Halfon, Les labyrinthes de l'amour ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015)




「好き」の条件ではない。「愛する」の条件である。

ストゥディウム[studium]というのは、気楽な欲望と、種々雑多な興味と、とりとめのない好みを含む、きわめて広い場のことである。それは好き/嫌い(I like/ I don’t)の問題である。ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、愛する(to love)の次元には属さない。ストゥディウムは、中途半端な欲望、中途半端な意志しか動員しない。それは、人が《すてき》だと思う人間や見世物や衣服や本に対していだく関心と同じたぐいの、漠然とした、あたりさわりのない、無責任な関心である。(ロラン・バルト『明るい部屋』第11章、1980年)


ストゥディウムは好きの条件に過ぎない。他方、プンクトゥムは愛の条件である。


バルトがプンクトゥムの定義で掲げている傷、穴、染み、裂け目は、固着のことである。

プンクトゥム[punctum]――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。〔・・・〕プンクトゥムとは、刺し傷[piqûre]、小さな穴 [petit trou]、小さな染み[petite tache]、小さな裂け目[petite coupure]のことであり――しかもまた骰子の一振り[coup de dés]のことでもあるからだ。〔・・・〕


プンクトゥムとは、…私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。 punctum…c'est ce hasard qui, en elle, me point (mais aussi me meurtrit, me poigne).(ロラン・バルト『明るい部屋』第10章、1980年)


染みは現実界の効果であり、現実界は固着である。すなわち染みは固着の効果である。

『明るい部屋』のプンクトゥム[punctum]は、ストゥディウムに染みを作るものである[fait tache dans le studium]。私は断言する、これはラカンのセミネールXIにダイレクトに啓示を受けていると。ロラン・バルトの天才が、正当的なスタイルでそれを導き出した。…そしてこれは現実界の効果[l'Effet de réel]と呼ばれるものである。


La chambre claire …Ce punctum c'est en quelque sorte un détail qui mobilise spécialement et qui fait tache dans le studium étale de l'image. Moi je prétends que c'est directement inspiré du Séminaire XI de Lacan, dans le style propre, le génie propre de Roland Barthes. …et qui s'appelle l'Effet de réel.   (J.-A. Miller, L'Être et l'Un - 2/2/2011)


対象に書き込まれたプンクトゥム、それは私の固着であり、ゆらめく閃光のような効果がある。


たいていの場合、プンクトゥムは《細部》である。つまり、部分対象[objet partiel ]である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡す[me livrer]ことになる。(ロラン・バルト『明るい部屋』第19章)

ストゥディウム studium は、つねにコード化[toujours codé]されているが、プンクトゥム punctum は、そうではない。…プンクトゥムは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光[un éclair qui flotte]なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』第22章、1980年)


これが唐突に愛に襲われるときに起こる固着の効果であり、あなたの中のあなた以上のものとしての「染み」が私を突き刺すのである。このあなたはヒトには限らない。芸術作品やときに「自然」でも同様である。



一人の立派なハジ(聖地巡礼をすませた回教徒の尊称)。短い灰色のひげをよく手入れし、手も同様に手入れし、真っ白い上質のジェラバを優雅にまとって、白い牛乳を飲む。

しかし、どうだ。鳩の排泄物のように、汚れが、きたないかすかな染みがある。純白の頭巾に[une tache, un léger frottis de merde, comme un besoin de pigeon, sur la capuche immaculée.](ロラン・バルト『偶景』1969年テキスト、死後出版1982)


ここでも染みの効果としてのゆらめく閃光が起こっている。


フロイトはトラウマを、自己身体の出来事[Erlebnisse am eigenen Körper ]=自我への傷[Schädigungen des Ichs]=固着[Fixierung]と定義している[参照]。バルトはこれを「身体の記憶」と言ったが、これが対象に現れる「染み」である。


私の身体は、歴史がかたちづくった私の幼児期である[mon corps, c'est mon enfance, telle que l'histoire l'a faite]。…匂いや疲れ、人声の響き、競争、光線など[des odeurs, des fatigues, des sons de voix, des courses, des lumières]、…失われた時の記憶[le souvenir du temps perdu]を作り出すという以外に意味のないもの…(幼児期の国を読むとは)身体と記憶[le corps et la mémoire]によって、身体の記憶[la mémoire du corps]によって、知覚することだ。(ロラン・バルト「南西部の光 LA LUMIÈRE DU SUD-OUEST」1977年)



「あなたの中にあるあなた以上のもの」は、私の身体の記憶[la mémoire du corps]である。愛の条件はここにある。


ドゥルーズが次のように言っているのは、身体の記憶に関わる。

愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない[les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime](ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第2版、1970年)


プルーストはこう書いている。

私がジルベルトに恋をして、われわれの愛はその愛をかきたてる相手の人間に属するものではないことを最初に知って味わったあの苦しみ[cette souffrance, que j'avais connue d'abord avec Gilberte, que notre amour n'appartienne pas à l'être qui l'inspire](プルースト「見出された時」)

ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける[Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir.] (プルースト「逃げ去る女」)


過去が刻印された肉体の傷、これこそ身体の記憶であり、フロイトの「身体の出来事=自我への傷=固着」である。


ジュネ=ジャコメッティが言っている美の起源としての傷も、身体の記憶としての固着のことであるだろう。

美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。[Il n’est pas à la beauté d’autre origine que la blessure, singulière, différente pour chacun, cachée ou visible, que tout homme garde en soi, qu’il préserve et où il se retire quand il veut quitter le monde pour une solitude temporaire mais profonde. ](ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』)