2023年12月8日金曜日

女性的享楽[la jouissance féminine]と女性的マゾヒズム[der feminine Masochismus]

 


女性の享楽[la jouissance féminine]は女性的享楽とも訳すことができるが、フロイトには女性的マゾヒズム[der feminine Masochismus]という概念がある。ラカンの《享楽の本質はマゾヒズム[La jouissance est masochiste dans son fond »]》(Lacan, S16, 15 Janvier 1969)であり、とすれば、女性的享楽と女性的マゾヒズムは等置しうるのではないか。


以下、それをいくら廻り道をして吟味してみる。


①女性の享楽=享楽自体=身体の出来事の享楽=サントームの享楽=固着の反復


まずジャック=アラン・ミレールは2011年のセミネールで女性の享楽について次のように言った。

確かにラカンは第一期に、女性の享楽[jouissance féminine]の特性を、男性の享楽[jouissance masculine]との関係にて特徴づけた。ラカンがそうしたのは、セミネール18 、19、20とエトゥルデにおいてである。

だが第二期がある。そこでは女性の享楽は、享楽自体の形態として一般化される [la jouissance féminine, il l'a généralisé jusqu'à en faire le régime de la jouissance comme telle]。その時までの精神分析において、享楽形態はつねに男性側から考えられていた。そしてラカンの最後の教えにおいて新たに切り開かれたのは、「享楽自体の形態の原理」として考えられた「女性の享楽」である [c'est la jouissance féminine conçue comme principe du régime de la jouissance comme telle]。〔・・・〕

ここでの享楽自体とは極めて厳密な意味がある。この享楽自体とは非エディプス的享楽である。それは身体の出来事に還元される享楽である[ici la jouissance comme telle veut dire quelque chose de tout à fait précis : la jouissance comme telle, c'est la jouissance non œdipienne,…C'est la jouissance réduite à l'événement de corps.](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 2/3/2011)




この女性の享楽(女性的享楽)は男女両性にある享楽自体、かつ身体の出来事の享楽とは、ミレール独自の解釈ではない。セミネール21以降のラカンの発言に厳密に基づいている。


ひとりの女とは何か? ひとりの女は症状である! [« qu'est-ce qu'une femme ? » C'est un symptôme ! ](Lacan, S22, 21 Janvier 1975)

症状は身体の出来事である[le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps](Lacan, JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)


ーーこの二文から「ひとりの女なる症状は身体の出来事」となる。この症状は現実界の症状「サントーム」である。


ラカンが上のように言った段階ではまだ「サントーム」概念はなかった。サントーム概念を初めて提出するのは1975年11月である。

サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME.  C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)


引き続き1976年2月に次のように言う。

サントームは現実界、無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome,  …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient]   (Lacan, S23, 17 Février 1976)

ひとりの女はサントームである [une femme est un sinthome ](Lacan, S23, 17 Février 1976)


したがって「ひとりの女なるサントームは身体の出来事」となる。

サントームは身体の出来事として定義される [Le sinthome est défini comme un événement de corps](J.-A. MILLER,, L'Être et l'Un, 30/3/2011)


つまり女性の享楽は身体の出来事の享楽であると同時に《サントームの享楽[la jouissance du sinthome]》 (Jean-Claude Maleval, Discontinuité - Continuité 2018)となる。


ところで、フロイトのトラウマの定義は身体の出来事あるいは固着であり、かつ固着の反復である。

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚 である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。〔・・・〕

このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


したがって次の注釈が生まれる。

享楽は身体の出来事である。享楽はトラウマの審級にある、衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。享楽は固着の対象である[la jouissance est un événement de corps(…) la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard,(…) elle est l'objet d'une fixation.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)

身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point] ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021)


さらにーー、

サントームは固着の反復である。サントームは反復プラス固着である[le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)


フロイトラカンにおいて固着はトラウマ(身体の出来事)と等価であり、固着の反復はトラウマの反復とすることもできる。



②現実界の享楽=マゾヒズム=トラウマ=母=固着

まずラカンの現実界の享楽はマゾヒズムかつトラウマである。

享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert ](Lacan, S23, 10 Février 1976)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme]. (Lacan, S23, 13 Avril 1976)


さらに現実界は母なるモノであり固着である。

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

問題となっている母は、いわゆる固着と呼ばれるものにおいて非常に重要な役割を担っている。la mère en question joue un rôle tout à fait important dans ce qu'on appelle  les fixations (Lacan, S1, 27 Janvier 1954)


母とトラウマとマゾヒズムと固着の等置はフロイトにある。


まず母はトラウマであり、トラウマは受動的な出来事である。

母は幼児にとって過酷なトラウマの意味を持ちうる[die Mutter … für das Kind möglicherweise die Bedeutung von schweren Traumen haben](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)

母のもとにいる幼児の最初の出来事は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動性である[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)

トラウマを受動的に体験した自我[Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


そして、受動的とはマゾヒズム的である。

マゾヒズム的とは、その根において女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)


女性的とあるのは、フロイトにとって女性性は受動性だからである。『性理論』の段階で既に次のように記している。

男性的と女性的とは、あるときは能動性と受動性の意味に、あるときは生物学的な意味に、また時には社会学的な意味にも用いられている[Man gebraucht männlich und weiblich bald im Sinne von Aktivität und Passivität, bald im biologischen und dann auch im soziologischen Sinne]。〔・・・〕

だが人間にとっては、心理学的な意味でも生物学的な意味でも、純粋な男性性または女性性[reine Männlichkeit oder Weiblichkeit]は見出されない。個々の人間はすべて、自らの生物学的な性特徴と異性の生物学的な特徴との混淆[Vermengung] をしめしており、また能動性と受動性という心的な性格特徴が生物学的なものに依存しようと、それに依存しまいと同じように、この能動性と受動性との融合[Vereinigung von Aktivität und Passivität]をしめしている。(フロイト『性理論三篇』第3章、1905年)


さらにマゾヒズムは固着に関わる。

無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido  …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇Anatomische Überschreitungen , 1905年)


以上、フロイトラカン両者において、マゾヒズム=トラウマ=母=固着であり、これがラカンの現実界の享楽にほかならず、享楽自体としての女性の享楽(女性的享楽)である。


つまり女性の享楽=受動性の享楽=トラウマの享楽=マゾヒズムの享楽=「母への固着の享楽(反復)」とすることができ、冒頭に掲げた女性的享楽と女性的マゾヒズムの相同性は明らかである。


享楽はもちろん欲動と言い換えることができる。

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)




③母へのマゾヒズム的固着の反復と女性の享楽


ここで、女性的マゾヒズム[der feminine Masochismus]の「女性」が生物学的女性に限らないことをフロイトの記述自体から確認しておこう。

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属として存続する[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)


女性への隷属[Hörigkeit gegen das Weib]は女性へのマゾヒズム的態度[masochistisches Verhalten]のことであり、フロイトは女性ではなく男性の事例を挙げているのである。


男性はしばしば女性にたいしてマゾヒズム的態度、隷属さえ示す[daß solche Männer häufig ein masochistisches Verhalten gegen das Weib, geradezu eine Hörigkeit zur Schau tragen](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第8章、1937年


これらから女性的マゾヒズム[der feminine Masochismus]は男女両性にある母へのマゾヒズム的固着[Masochistische Fixierung an die Mutter]、かつその反復とすることができる。そして、おそらく晩年のラカンの女性の享楽は、この母への固着の反復とほぼ等置しうるのではないか。これが「女性の享楽=サントームの享楽=固着の反復」の内実である、と私は考えている。



最後にもういくらか確認しておこう。


現実界=サントーム=モノ=母である。

サントームは現実界、無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome,  …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient]   (Lacan, S23, 17 Février 1976)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノは母である[das Ding, qui est la mère](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)


したがってサントームは母の名である。

ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens]。ラカンはこのモノをサントームと呼んだのである。サントームはエスの形象である[ce qu'il appelle le sinthome, c'est une figure du ça ] (J.-A.MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 4 mars 2009)




そして②で示したようにラカンの現実界の享楽はマゾヒズムだが、それと同じくフロイトのリアルな欲動はマゾヒズムである。

欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)

自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)


かつまたこれも②で示したように、人はみな、初期幼児期に、母に対して受動的=マゾヒズム的立場に置かれる。したがって母の名とは「マゾヒズムの名」と言い換えることができる。これがリアルな「欲動の名」とすることができる。