2023年12月14日木曜日

男性の同性愛者における「ひとりの女」


男性の同性愛者の女への愛は、昔から知られている。われわれは名高い名、ワイルド、ヴェルレーヌ、アラゴン、ジイドを挙げることができる。彼らの欲望は女へは向かわなかったとしても、彼らの愛は「ひとりの女 Une femme 」に落ちた。すくなくとも時に。

L'amour de l'homosexuel pour les femmes est de longtemps connu, nous pourrions en citer plusieurs de célèbres : Wilde, Verlaine, Aragon ou Gide, si leur désir était peu orienté vers les femmes, leur amour s'est porté sur Une femme, au moins un temps. 

男性の同性愛者は、その人生において少なくともひとりの女をもっている。フロイトが厳密に叙述したように、彼の母である。L'homosexuel a au moins une femme dans sa vie, Freud l'a précisément décrit, c'est sa mère. 〔・・・〕


私は「すべてにとって」そうであると言うつもりはない。同性愛者の多様性は数限りない。それにもかかわらず、エディプスの時代から、ラカンがセミネール「無意識の形成」にて典型的なものとして展開した男性の同性愛者のモデルは、「母への深く永遠な関係」という原理を基盤としている。

Je n'en fais pas ici un « pour tous », la variété des homosexualités étant innombrable. Il n'empêche que du temps de l'Œdipe pas encore si éloigné, le modèle de l'homosexualité masculine exemplairement déplié par Lacan dans le Séminaire Les formations de l'inconscient est basé sur le principe du « rapport profond et perpétuel à la mère »( Jean-Pierre Deffieux, Pour vivre heureux vivons mariés ーーLe Journal extime de Jacques-Alain Miller, 2013、PDF



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男性の同性愛において見られる数多くの痕跡がある。何よりもまず、母への深く永遠な関係である。Il y a un certain nombre de traits qu'on peut voir chez l'homosexuel.   On l'a dit d'abord :  un rapport profond et perpétuel à la mère. (Lacan, S5, 29 Janvier 1958)


われわれが調査したすべての同性愛者には、当人が後でまったく忘れてしまったごく早い幼年期に、女性にたいする、概して母にたいする非常に激しいエロス的結びつき[erotische Bindung]があった、ーー母親自身の過剰な優しさ[Überzärtlichkeit] によって呼び醒まされたり、あるいは助長させられたりして、さらにはまた幼児の生活中に父親があまり出てこないということによって。〔・・・〕


さて、この予備段階の後に一つの変化が起こる。この変化の機制はわれわれにはわかっているが、その原因となった力はまだわかっていない。母への愛は子供のそれ以後の意識的な発展と歩みをともにしない。それは抑圧の手中に陥る[Die Liebe zur Mutter kann die weitere bewußte Entwicklung nicht mitmachen, sie verfällt der Verdrängung. ]


子供は母への愛を抑圧する。それは、子供が自分自身を母の位置に置き、母と同一化し、彼自身をモデルにして、そのモデルに似た者から新しい愛の対象を選ぶことによってである。[Der Knabe verdrängt die Liebe zur Mutter, indem er sich selbst an deren Stelle setzt, sich mit der Mutter identifiziert und seine eigene Person zum Vorbild nimmt, in dessen Ähnlichkeit er seine neuen Liebesobjekte auswählt. ]


このようにして彼は同性愛者になる[Er ist so homosexuell geworden]。いや実際には、彼はふたたび自体性愛[Autoerotismus]に落ちこんだというべきであろう。というのは、いまや成長した彼が愛している少年たちとは結局、幼年期の彼自身ーー彼の母が愛したあの少年ーーの代理であり更新に他ならないのだから[die der Heranwachsende jetzt liebt, doch nur Ersatzpersonen und Erneuerungen seiner eigenen kindlichen Person sind, die er so liebt, wie die Mutter ihn als Kind geliebt hat. ]。


言わば少年は、愛の対象[Liebesobjekte]をナルシシズムの道[Wege des Narzißmus]の途上で見出したのである。ギリシア神話は、鏡に写る自分自身の姿以外の何物も気に入らなかった若者、そして同じ名の美しい花に姿を変えられてしまった若者をナルキッソス[Narzissus]と呼んでいる。


心理学的にさらに究明してゆくと、このようにして同性愛者となった者は、無意識裡に自分の記憶映像の母へ固着[Erinnerungsbild seiner Mutter fixiert]をしたままである、という主張が正当化される。母への愛を抑圧することによって彼はこの愛を無意識裡に保存し、こうしてそれ以後つねに母に忠誠な者となる[Durch die Verdrängung der Liebe zur Mutter konserviert er dieselbe in seinem Unbewußten und bleibt von nun an der Mutter treu. ]


彼が恋人としては少年のあとを追い廻しているように見えても、じつは彼はそうすることによって、彼を不忠誠にしうる他の女たちから逃げ廻っているのである[Wenn er als Liebhaber Knaben nachzulaufen scheint, so läuft er in Wirklichkeit vor den anderen Frauen davon, die ihn untreu machen könnten. ]。


われわれはまた直接個々の場合を観察した結果、一見男の魅力しか感じない者も本当は標準的な男性と同様、女の魅力のとりこになること[daß der scheinbar nur für männlichen Reiz Empfängliche in Wahrheit der Anziehung, die vom Weibe ausgeht, unterliegt wie ein Normaler]を証明しえた。


しかし彼はそのつど急いで、女から受けた興奮を男の対象に置き換え、絶えず彼がかつて同性愛を獲得したあの機制を繰り返すのである[aber er beeilt sich jedesmal, die vom Weibe empfangene Erregung auf ein männliches Objekt zu überschreiben, und wiederholt auf solche Weise immer wieder den Mechanismus, durch den er seine Homosexualität erworben hat. ](フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』第3章、1910年)