質問をもらっているから一応答えるけど、大きく言えば、まずは次の区分なんだけどな。
原抑圧 Urverdrängung |
抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年) |
抑圧された固着[verdrängten Fixierungen] (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年) |
|
抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年) |
|
後期抑圧 Nachverdrängung |
抑圧された願望(欲望)[verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900年) |
抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen](フロイト『夢解釈』第7章、1900年) |
|
抑圧された思想[verdrängten Gedanken ] (フロイト『夢解釈』第7章、1900年) |
例えばフロイトが「抑圧された欲動」というとき、第一次抑圧としての「原抑圧された欲動」のことだが、抑圧としか言っていないので、それが原抑圧であることに人は気づきにくい。
だがフロイトは抑圧という語に原抑圧と後期抑圧の両方を含ませている。
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen (Nachverdrängung) sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
||||||||||||||||||
※より詳しくは、➡︎「原抑圧と後期抑圧」 上の文にあるように、フロイトは最初の臨床で抑圧というとき、主に後期抑圧を分析治療の焦点とした(当時は後期抑圧という語はなかった)。フロイトにとって『夢解釈』に現れる「願望=表象=思考」は同一であり、こちらの方が後年示した後期抑圧(最初に「後期抑圧」と言ったのは、1911年の『症例シュレーバー』)。 で、願望はラカンの欲望であり、ラカンは享楽つまり欲動に対する防衛とした。 |
||||||||||||||||||
フロイト用語の願望をわれわれは欲望と翻訳する[Wunsch, qui est le terme freudien que nous traduisons par désir.](J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016) |
||||||||||||||||||
欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である[le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance.]( Lacan, SUBVERSION DU SUJET, E825,1960) |
||||||||||||||||||
ごく浅い理解で、この抑圧された欲望=表象=思考が、フロイトの抑圧だといまだに思い込んでいる人が多い。これは巷間の精神分析学者でもほとんどそうだ(ラカン自身、1958年までは欲動と欲望を混同していた[参照]。つまり事実上、原抑圧と後期抑圧の混同である)。 ところがフロイトは表象つまり願望=欲望にとどまっている限り、表面的というようになる。 |
||||||||||||||||||
印象や表象のみを問題にしている限り、われわれは事態の表面にとどまる。 [Wir bleiben an der Oberfläche, so lange wir nur von Erinnerungen und Vorstellungen handeln.](フロイト『W.イェンゼンの《グラディーヴァ》における妄想と夢』1907年) |
||||||||||||||||||
つまり、重要なのは、第一次抑圧としての原抑圧だということだ。 ラカンにおいて原抑圧はトラウマの穴だ。 |
||||||||||||||||||
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
||||||||||||||||||
現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
||||||||||||||||||
このトラウマの穴は欲動つまり享楽であり、つまり原抑圧された欲動=原抑圧された享楽である。 |
||||||||||||||||||
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
||||||||||||||||||
享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
||||||||||||||||||
そして、トラウマとは固着のこと。ーー《トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]》(フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年) ラカンにおいては次の形で現れる。 |
||||||||||||||||||
現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](ラカン、S11、12 Février 1964) |
||||||||||||||||||
固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
||||||||||||||||||
同化不能はフロイトのモノの定義で、ラカンの現実界のトラウマ。 |
||||||||||||||||||
同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) |
||||||||||||||||||
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
||||||||||||||||||
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
||||||||||||||||||
以上、原抑圧=欲動(享楽)=固着=トラウマであり、これが冒頭の図の「抑圧された欲動=抑圧された固着=抑圧されたトラウマ」のこと。 …………………
|
つまりこうなる。
原抑圧 Urverdrängung |
抑圧された欲動 |
verdrängte Trieb |
抑圧された固着 |
verdrängte Fixierung |
|
抑圧されたトラウマ |
verdrängte Trauma |
|
抑圧された不快 |
verdrängte Unlust |
|
抑圧された不安 |
verdrängte Angst |
|
抑圧されたマゾヒズム |
verdrängte Masochismus |
|
排除された欲動 |
verworfenen Trieb |
繰り返し強調すれば、ラカンの現実界の享楽は原抑圧されたもの、つまり排除であり、上図の「抑圧されたマゾヒズム」とは、厳密に言えば、「原抑圧されたマゾヒズム」あるいは「排除されたマゾヒズム」である。
この排除されたマゾヒズムは、セミネール16にも現れている。 |
私が排除[forclusion]について、その象徴的関係の或る効果を正しく示すなら、〔・・・〕象徴界において抑圧されたもの全ては現実界のなかに再び現れる。というのは、まさに享楽は全き現実界的なものだから[Si j'ai parlé de forclusion à juste titre pour désigner certains effets de la relation symbolique,…tout ce qui est refoulé dans le symbolique reparaît dans le réel, c'est bien en ça que la jouissance est tout à fait réelle. ](Lacan、S16, 14 Mai 1969) |
享楽の本質はマゾヒズムである[La jouissance est masochiste dans son fond](Lacan, S16, 15 Janvier 1969) |
当面、以上。