2023年12月18日月曜日

簡潔版:女性性=受動性=マゾヒズム[Weiblichkeit = Passivität = Masochismus]


◼️精神分析において女性性は受動性

男性的と女性的とは、あるときは能動性と受動性の意味に、あるときは生物学的な意味に、また時には社会学的な意味にも用いられている。これら三つのつの意味のうち最初の意味が、本質的なものであり、精神分析において最も有用なものである。Man gebraucht männlich und weiblich bald im Sinne von Aktivität und Passivität, bald im biologischen und dann auch im soziologischen Sinne. Die erste dieser drei Bedeutungen ist die wesentliche und die in der Psychoanalyse zumeist verwertbare. 〔・・・〕

人間にとっては、心理学的な意味でも生物学的な意味でも、純粋な男性性または女性性は見出されない。個々の人間はすべて、自らの生物学的な性特徴と異性の生物学的な特徴との混淆をしめしており、また能動性と受動性という心的な性格特徴が生物学的なものに依存しようと、それに依存しまいと同じように、この能動性と受動性との融合をしめしている。

Diese ergibt für den Menschen, daß weder im psychologischen noch im biologischen Sinne eine reine Männlichkeit oder Weiblichkeit gefunden wird. Jede Einzelperson weist vielmehr eine Vermengung ihres biologischen Geschlechtscharakters mit biologischen Zügen des anderen Geschlechts und eine Vereinigung von Aktivität und Passivität auf, sowohl insofern diese psychischen Charakterzüge von den biologischen abhängen als auch insoweit sie unabhängig von ihnen sind.. (フロイト『性理論三篇』第三篇、1905年、1915年註)


◼️マゾヒズム[Masochismus]=女性性 [Weiblichkeit ]=受動性 [Passivität]

マゾヒズム的とは、その根において女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)



何よりもまず重要なことは、ここでの女性性とは生物学的女性ではないことである。女性性は受動性であり、これがマゾヒズムである。




次にいくらか具体的に見てみよう。


①すべての乳幼児は母に対して受動性(女性性=マゾヒズム性)に置かれる

母のもとにいる幼児の最初の出来事は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的性質である[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年)


②リビドーの固着=マゾヒズム的要素

無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido  …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇 , 1905年)


③リビドーの固着=愛の固着

すべての利用しうるエロスエネルギーを、われわれはリビドーと名付ける[die gesamte verfügbare Energie des Eros, die wir von nun ab Libido heissen werden](フロイト『精神分析概説』第2章, 1939年)

幼児期のリビドーの固着[infantilen Fixierung der Libido]( フロイト『性理論三篇』1905年)

初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen].(フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年)


③母へのエロス的固着にともなうマゾヒズム

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属として存続する[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)


※隷属=マゾヒズム

男性はしばしば女性にたいしてマゾヒズム的態度、隷属さえ示す[daß solche Männer häufig ein masochistisches Verhalten gegen das Weib, geradezu eine Hörigkeit zur Schau tragen](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第8章、1937年)



生物学的男性を例に出してマゾヒズムが示されている。つまり生物学的男女両性とも原初は「精神分析的には」女性的受動的マゾヒズム的だということである。こういう言い方ができる。すなわち精神分析的には、原初において人はみな女性的である、と。あるいは主体の起源は女性性だ、と。


…………………


フロイトのリアルな欲動はマゾヒズムへの回帰である。

以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)

欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)



そしてこのマゾヒズムへの回帰がラカンの享楽の回帰にほかならない。

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il (Freud) l'a découvert] (Lacan, S23, 10 Février 1976)


現実界の享楽、すなわちリアルな欲動であり、マゾヒズムである。


さらにラカンが「女なるものの抑圧」ーーこの抑圧は原抑圧=排除であるーーというときの女なるものはマゾヒズムとおそらく捉えうる。

女なるものは、その本質において、女にとっても抑圧されている。男にとって女が抑圧されているのと同じように[La Femme dans son essence,  …elle est tout aussi refoulée pour la femme que pour l'homme](Lacan, S16, 12 Mars 1969)

私が排除[forclusion]について、その象徴的関係の或る効果を正しく示すなら、〔・・・〕象徴界において抑圧されたもの全ては現実界のなかに再び現れる。というのは、まさに享楽は全き現実界的なものだから[Si j'ai parlé de forclusion à juste titre pour désigner certains effets de la relation symbolique,[…]tout ce qui est refoulé dans le symbolique reparaît dans le réel, c'est bien en ça que la jouissance est tout à fait réelle. ](Lacan, S16, 14 Mai 1969)


ここでラカンが言っていることは、次のフロイトの言い換えであるように見える。


本源的に抑圧されている要素は、常に女なるものではないかと思われる[Die Vermutung geht dahin, daß das eigentlich verdrängte Element stets das Weibliche ist ](フロイト, Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)


繰り返せば、フロイトにとって女なるものは受動性でありマゾヒズムである。



先のセミネール16の「女なるものの排除」に引き続き、ラカンは翌年のセミネール17で次のように言っている。

(原母子関係には)母なる女の支配がある。語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。女なるものは、享楽を与えるのである、反復の仮面の下に。[une dominance de la femme en tant que mère, et :   - mère qui dit,  - mère à qui l'on demande,  - mère qui ordonne, et qui institue du même coup cette dépendance du petit homme.  La femme donne à la jouissance d'oser le masque de la répétition.] 〔・・・〕

不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](ラカン, S17, 11 Février 1970)


母なる女が不快を与える、すなわち受動性を与える、である。

原初の不快な出来事は受動性である[primäres Unlusterlebnis also passiver Natur voraus.] (フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ,  Brief vom 1. 1. 1896)


受動性すなわちマゾヒズム。これが享楽である。

享楽の本質はマゾヒズムである[La jouissance est masochiste dans son fond](Lacan, S16, 15 Janvier 1969)


つまりは母なる女が幼児にマゾヒズムを与え、これが反復する、となる。