2022年7月30日土曜日

反復強迫・死の欲動・永遠回帰・レミニサンス

フロイトにおいて反復強迫・死の欲動・永遠回帰・レミニサンスは同じ意味をもっている。


①不気味なもの=同一のものの回帰=内的反復強迫

いかに同一のものの回帰という不気味なものが、幼児期の心的生活から引き出しうるか。

Wie das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr aus dem infantilen Seelenleben abzuleiten ist  ・・・〕

心的無意識のうちには、欲動蠢動から生ずる反復強迫の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。不気味なものとして感知されるものは、この内的反復強迫を思い起こさせるものである。

Im seelisch Unbewußten läßt sich nämlich die Herrschaft eines von den Triebregungen ausgehenden Wiederholungszwanges erkennen, der wahrscheinlich von der innersten Natur der Triebe selbst abhängt, stark genug ist, sich über das Lustprinzip hinauszusetzen, gewissen Seiten des Seelenlebens den dämonischen Charakter verleiht,(…)  daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann. (フロイト『不気味なもの 』第2章、1919年)


②同一の出来事の反復強迫=不変の個性刻印=永遠回帰=反復強迫(運命強迫)

同一の出来事の反復[Wiederholung der nämlichen Erlebnisse]の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)


③不変の個性刻印=トラウマ(身体の出来事)への固着=反復強迫

病因的トラウマ、この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる[ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an]〔・・・〕トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕

このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]

この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


④反復強迫=死の欲動

われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす。

Charakter eines Wiederholungszwanges […] der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.(フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)


⑤不気味なもの=異者としての身体=トラウマ=レミニサンス

不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)


⑥固着(原抑圧された欲動)=異者

固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)

圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ](フロイト『症例シュレーバー 1911年、摘要)


⑦固着の残滓=エスへの置き残し=異者としての身体=モノ

常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者としての身体は原無意識としてエスに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)

々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895




以上、不気味な異者なるモノは、反復強迫・死の欲動・永遠回帰・レミニサンスする。





これらがラカンの現実界、現実界の享楽である。ーー《享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel]》(Lacan, S23, 10 Février 1976)


❶現実界=モノ=異者=不気味なもの=死の欲動

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

死の欲動は現実界である[La pulsion de mort c'est le Réel](Lacan, S23, 16 Mars 1976)


❷現実界=トラウマ=レミニサンス

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。…これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)



……………………



ニーチェにおける永遠回帰するディオニュソス的世界、ーー《永遠に回帰せざるを得ないものとして、いかなる飽食も倦怠も疲労も知らない生成。これが、永遠なる自己創造と自己破壊のわたしのディオニュソス的世界である。was ewig wiederkommen muß, als ein Werden, das kein Sattwerden, keinen Überdruß, keine Müdigkeit kennt -: diese meine dionysische Welt des Ewig-sich-selber-Schaffens, des Ewig-sich-selber-Zerstörens,》(ニーチェ「力への意志」草稿IN Ende 1886- Frühjahr 1887:)ーー、この世界は、実存=不気味なものである。





◼️実存=永遠回帰=運命愛=沈黙した不気味なもの

私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、実存[Daseins]の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。Philosophie, wie ich sie bisher verstanden und gelebt habe, ist das freiwillige Aufsuchen auch der verwünschten und verruchten Seiten des Daseins. 〔・・・〕


この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲する―あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまで―、それは永遠の円環運動を欲する[sie will den ewigen Kreislauf]、―すなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、実存へとディオニュソス的に立ち向かうということ―、このことにあたえた私の定式が運命愛である…Sie will vielmehr bis zum Umgekehrten hindurch―bis zu einem dionysischen Jasagen zur Welt, wie sie ist, ohne Abzug, Ausnahme und Auswahl―sie will den ewigen Kreislauf,―dieselben Dinge, dieselbe Logik und Unlogik der Knoten. Höchster Zustand, den ein Philosoph erreichen kann: dionysisch zum Dasein stehn―: meine Formel dafür ist amor fati ...

(ニーチェ「力への意志」遺稿、Frühjahr 1888)

不気味なものは人間の実存[Dasein]であり、それは意味もたず黙っている[Unheimlich ist das menschliche Dasein und immer noch ohne Sinn ](ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第1部「序説」1883年)


➡︎《死の欲動は本源的に沈黙しているという印象は避けがたい[müssen wir den Eindruck gewinnen, daß die Todestriebe im wesentlichen stumm sind ]》(フロイト『自我とエス』第4章、1923年)


◼️不気味な親密さの回帰

未来におけるすべての不気味なもの、また過去において鳥たちをおどして飛び去らせた一切のものも、おまえたちの「現実」にくらべれば、まだしも親密さを感じさせる[Alles Unheimliche der Zukunft, und was je verflogenen Vögeln Schauder machte, ist wahrlich heimlicher noch und traulicher als eure "Wirklichkeit". ](ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第2部「教養の国」1884年)

不気味ななかの親密さ[heimisch im Unheimlichen](フロイト『ある錯覚の未来』第3章、1927年)

不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[Es mag zutreffen, daß das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第3章、1919年)



2022年7月29日金曜日

原抑圧の時代

 

◼️原抑圧の時代

後期ラカンにとって、症状は「身体の出来事」として定義される〔・・・〕。症状は現実界に直面する。シニフィアンと欲望に汚染されていないリアルな症状である。…症状を読むことは、症状を原形式に還元することである。この原形式は、身体とシニフィアンとのあいだの物質的遭遇にある〔・・・〕。これはまさに主体の起源であり、書かれることを止めない。--《現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire)(ラカン, S 25, 10 Janvier 1978)ーー。我々は「フロイトの原抑圧の時代[the era of the ‘Ur' – Freud's Urverdrängung])にいるのである。ジャック=アラン・ミレール はこの「原初の身体の出来事」とフロイトの「固着」を結びつけている。フロイトにとって固着は抑圧の根である。固着はトラウマの審級にある。それはトラウマの刻印ーー心的装置における過剰なエネルギーの瞬間の刻印--である。ここにおいて欲動要求の反復が生じる。(Anne Lysy, Report on the Preparatory Seminar Towards the 10th NLS Congress "Reading a Symptom", 2012



①(現実界の)症状=身体の出来事=固着

症状は身体の出来事である[le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps](Lacan, JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)

身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point] ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021/01)



②トラウマ=身体の出来事=固着(トラウマへの固着)=原抑圧

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕このトラウマの作用は、トラウマへの固着と反復強迫の名の下に要約される。[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang.](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ](フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)



③原抑圧=穴=トラウマ=現実界=モノ=異者

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959 )



④原抑圧=固着=異者(異者としての身体)=トラウマ

固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)


……………


◼️忘れられた原抑圧

フロイト以降、原抑圧概念は全く忘れられるつつある。証拠として、Grinsteinを見るだけで十分である。Grinstein、ーすなわちインターネット出現以前の主要精神分析参考文献一覧である。96,000項目の内にわずか4項目しか、「原抑圧」への参照がない…この驚くべき過少さを説明するのは、とても簡単である。原抑圧概念は、ポストフロイト時代の理論にはまったく合致しないのである。彼らが参照しているのは、1910年前後以前のフロイトに過ぎない。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, DOES THE WOMAN EXIST?、 1999)



❶現実界=原抑圧=固着=置き残し

ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。[The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)


❷置き残し=リビドー固着の残滓=異者としての身体=原無意識

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者としての身体は原無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


※より詳しくは➡︎原抑圧文献




2022年7月28日木曜日

享楽の自閉症 [L'autisme de la jouissance]


晩年のラカンは二者で行われる精神分析治療自体ーーその代表は自由連想的寝椅子治療ーーを疑った。

精神分析…すまないがね、許してくれたまえ、少なくとも分析家諸君よ!… 精神分析とは「二者の自閉症」 « autisme à deux »と呼ばれうるものじゃないだろうか? 

[la psychanalyse… je vous demande pardon, je demande pardon au moins aux psychanalystes …ça n'est pas ce qu'on peut appeler un « autisme à deux » ?](Lacan, S24, 19 Avril 1977)


これは、精神分析の場では、究極的には二人の自閉症者が勝手に自閉的語ーーラカンはこれを「一者のシニフィアン (Le signifiant Un)」(参照)、あるいは「ララング (lalangue)」と呼んだ(参照:ララング文献集)ーーを喋っているだけではないか、という意味である。


後期ラカンは自閉症の問題にとり憑かれていた。自閉症とは、後期ラカンにおいて、大他者[l'Autre ]ではなく、一者[l'Un ]が支配することである[ce dernier enseignement de Lacan est hanté par le problème de l'autisme. L'autisme veut dire que, dans ce dernier enseignement, c'est l'Un qui domine et non pas l'Autre. ]〔・・・〕


ラカンは言った、「二者の自閉症」(二者にとっての自閉症)と。もし、精神分析が「二者の自閉症」でないならーーそう確信させてもらいたいがーー、ララングではなく、言葉がある、つまり共有の事柄があるためだ[Lacan peut dire " …autisme à deux ". Si elle ne l'est pas - rassurons-nous -, si elle ne l'est pas c'est qu'il y a la langue et que lalangue comme le dit Lacan, est une affaire commune]

だが先ず何よりも「一者」の優越がある、「一者の享楽」、一者のリビドー的神秘が[Mais le privilège donné à l'Un, à la jouissance de l'Un, au secret libidinal de l'Un], 〔・・・〕後期ラカンの教えにおいて、精神分析はララングによる自閉症の強制である。一者の強制、享楽の一者の強制である[Dans le dernier enseignement de Lacan, la psychanalyse est un forçage de l'autisme grâce à lalangue, un forçage de l'Un, de l'Un de jouissance](J.-A. MILLER, LE LIEU ET LE LIEN,  06/06, 2001)




この2001年の段階でのジャック=アラン・ミレールは、自閉症[l'autisme]= 一者の享楽の強制[forçage de la jouissance de l'Un] としているが、後年その内実をいっそう明瞭化する。


フロイトの固着、これが自閉症の起源なのである。


分析経験の基盤、それは厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, …précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ]〔・・・〕

フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

享楽の一者の純粋な反復をラカンはサントームと呼んだ[la pure réitération de l'Un de jouissance que Lacan appelle sinthome] (J.-A. Miller, L'ÊTRE ET L'UN - 30/03/2011)


享楽の一者 [l'Un de jouissance]=固着[Fixierung]=サントーム[sinthome]


これが現代主流ラカン派における自閉症である。


われわれは言うことができる、サントームは固着の反復だと。サントームは反復プラス固着である[On peut dire que le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)

サントームの身体、肉の身体、存在論的身体はつねに自閉症的享楽・非共有的享楽に帰着する[Le corps du sinthome, le corps de chair, le corps existentiel, renvoie toujours à une jouissance autiste et non partageable.](ピエール=ジル・ゲガーンPierre-Gilles Guéguen, Au-delà du narcissisme, le corps de chair est hors sens, 2016)



原症状としての固着=サントームは享楽自体であり、現実界である。


固着は、フロイトが原症状と考えたものである[Fixations, which Freud considered to be primal symptoms,](Paul Verhaeghe and Declercq, Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way, 2002)

サントームという享楽自体 [la jouissance propre du sinthome] (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 17 décembre 2008)

サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である[Le sinthome, c'est le réel et sa répétition]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)



つまり現実界の享楽は固着であり、自閉症的である。


享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)

享楽の核は自閉症的である[Le noyau de la jouissance est autiste]   (Françoise Josselin「享楽の自閉症 L'autisme de la jouissance」2011)



享楽と欲望の相違は固着の有無である。


享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である[La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido]. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008)

人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する[Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält.] (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)



主体の故郷には享楽の自閉症がある。


自閉症は主体の故郷の地位にある[l'autisme était le statut natif du sujet](J.-A. MILLER, - Le-tout-dernier-Lacan – 07/03/2007)

ラカンは強調した、疑いもなく享楽は主体の起源に位置付けられると[Lacan souligne que la jouissance est sans doute ce qui se place à l'origine du sujet](J.-A. Miller, Une lecture du Séminaire D'un Autre à l'autre, 2007)


享楽の自閉症の意味は、われわれの根には享楽の固着(欲動の固着=リビドーの固着)があるということである、ーー《フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[ Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance.]》 (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)






2022年7月27日水曜日

二種類の無意識図


フロイトにおける二種類の無意識とは二種類の抑圧のことである。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen (Nachverdrängung) sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


この原抑圧と後期抑圧の無意識の区分は、まず次のようにまとめることができる。

フロイトは、システム無意識[System Ubw] あるいは原抑圧[Urverdrängung]と力動的無意識[Dynamik Ubw ]あるいは(後期)抑圧された無意識[(Nach-) verdrängtes Unbewußt]を区別した(『無意識』1915年)。


システム無意識[System Ubw] は、欲動の核の身体の上への刻印(固着[Fixierung])であり、欲動衝迫の形式における要求過程化である。〔・・・〕他方、力動的無意識[Dynamik Ubw]は、誤った結びつけ[eine falsche Verkniipfung]のすべてを含んでいる。すなわち、原初の欲動衝迫とそれに伴う防衛的加工を表象する二次的な試みである。言い換えれば症状である。フロイトはこれを、無意識の後裔 [Abkömmling des Ubw](『無意識』第6章)と呼んだ。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics、2004年)


①フロイト自身の発言については、「原抑圧文献」を参照。

②ラカンおよびラカン派の思考については、「原無意識ーー話す存在[parlêtre]=話す身体[corps parlant]=異者身体[Fremdkörper]」を参照。



ここでは、これらに示してある用語群を元に図示しておくだけにする。




ラカン語彙との関係をまずポール・バーハウの注釈にて、


ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。[The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)


フロイトはその理論の最初から、症状には二重の構造があることを識別していた。一方には「欲動」、他方には「心的なもの」(心的外被[psychische Umkleidung])である(現勢神経症[Aktualneurose]と精神神経症 [Psychoneurose])。ラカン用語なら、現実界と象徴界である。


これはフロイトの最初の事例研究「症例ドラ」に明瞭に現れている。この事例において、フロイトは防衛理論については何も言い添えていない。防衛の「精神神経症」については、既に先行する二論文(1894, 1896)にて詳述されている。逆に「症例ドラ」の核心は、症状の二重構造だと言い得る。フロイトが焦点を当てるのは、現実界、すなわち欲動に関する要素である。彼はその要素を、身体側からの反応 [Somatisches Entgegenkommen]という用語で示している。この語は、『性理論三篇』にて、「リビドーの固着[Fixierung der Libido](欲動の固着[Fixierung der Triebe] 」と呼ばれるようになったものである。〔・・・〕

この二重構造の光の下では、どの症状も二様の方法で研究されなければならない〔・・・〕。享楽の現実界は症状の地階あるいは根なのであり、象徴界は上部構造なのである。[The Real of the jouissance is the ground or the root of the symptom, whilst the Symbolic concerns the upper structure. ]

(Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq, Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way 、2002)



次にジャック=アラン・ミレール等、ラカン自身も含めて。


◼️「症状/サントーム」➡︎「欲望/欲動」➡︎「欠如/穴」

われわれは症状からサントームへの道を取っている。それはまた、欲望から欲動への道、欠如から穴への道である[nous avons fait le chemin du symptôme au sinthome, qui est aussi un chemin du désir à la pulsion ou du manque au trou] (J.-A. MILLER, Conclusion des Leçons du sinthome, avril 2006)


●「症状/サントーム」=「隠喩の象徴界/固着の現実界」

症状は隠喩である。つまり意味の効果である[Le symptôme est une métaphore, c'est-à-dire, un effet de sens.]  (Jean-Louis Gault , Le parlêtre et son sinthome , 2016)

サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である[Le sinthome, c'est le réel et sa répétition]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)

サントームは固着の反復である。サントームは反復プラス固着である[le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)


●「欲望/欲動」=「言語の象徴界/身体の現実界」

欲望は自然の部分ではない。欲望は言語に結びついている。それは文化で作られている。より厳密に言えば、欲望は象徴界の効果である[le désir ne relève pas de la nature : il tient au langage. C'est un fait de culture, ou plus exactement un effet du symbolique.](J.-A. MILLER "Le Point : Lacan, professeur de désir" 06/06/2013)

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

身体は穴である[corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)


◼️「欠如/穴」➡︎「象徴界のファルス/現実界のトラウマ」

ファルスはそれ自体、主体において示される欠如の印以外の何ものでもない[  (le) phallus lui-même … n'est rien d'autre que ce point de manque qu'il indique dans le sujet. ](Lacan, LA SCIENCE ET LA VÉRITÉ, E877, 1965)

ファルスの意味作用とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない。Die Bedeutung des Phallus  est en réalité un pléonasme :  il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus.  (ラカン, S18, 09 Juin 1971)

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)


現実界は穴=トラウマをなす[le Réel … ça fait « troumatisme ».](Lacan , S21, 19 Février 1974)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976)



いくつかの語を抽出して先の図と組み合わせておこう。



なおこの区分においては想像界は象徴界に含まれる。

想像界は確かに象徴界の影響の外部にあるが、他方、ラカンは常に付け加えた、この想像界は同時に象徴界によって常に支配されていると[l'imaginaire est bien ce qui reste en dehors de la prise du symbolique, tandis que, par un autre côté, Lacan ajoute toujours que cet imaginaire est en même temps dominé par le symbolique]. (J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)











母の名の排除[la forclusion du Nom de la Mère ]

 

①父の名の排除=父の隠喩の排除

大他者の場における父の名の排除、そして父の隠喩の失敗は、私が精神病に与える本質的な条件の欠陥として示すものであり、これが神経症から精神病を分離する構造である[la forclusion du Nom-du-Père à la place de l'Autre, et dans l'échec de la métaphore paternelle que nous désignons le défaut qui donne à la psychose sa condition essen-tielle, avec la structure qui la sépare de la névrose](Lacan, É575, 1956)

父の隠喩の排除[la forclusion de la métaphore paternelle](シャルル・メルマン Charles Melman, Des psychoses dun point de vue lacanien, 1979)


②父の名の排除とは別の排除

父の名の排除から来る排除以外の別の排除がある[il y avait d'autres forclusions que celle qui résulte de la forclusion du Nom-du-Père. ](Lacan, S23、16 Mars 1976)


③一般化排除[la forclusion généralisée]

ラカンの排除はたしかに精神病と父の名に関して設置された。だがこれは基本的に限定された排除の原則である。一般化排除の原則の場処がある[La forclusion, Lacan l'a certes mis en œuvre à propos de la psychose et du Nom-du-Père, mais ce n'est là, au fond, qu'une doctrine de la forclusion restreinte. Il y a place pour la doctrine de la forclusion généralisée.](J.-A. MILLER, Ce qui fait insigne, 27 MAI 1987)


④父の名の排除=S2の排除 [la forclusion de S2](父の隠喩の排除)

「父の名の排除 」を「S2の排除 」と翻訳してどうしていけないわけがあろう?

[Pourquoi ne pas traduire sous cette forme la forclusion du Nom-du-Père, la forclusion de ce S2 ?](J.-A. MILLER, L'INVENTION DU DÉLIRE, 1995)


⑤女なるものの排除[la forclusion de la femme]

性関係はない。これはまさに女性のシニフィアンの排除が関与している

Il n'y a pas de rapport sexuel : c'est d'une véritable forclusion du signifiant de la femme qu'il s'agit.〔・・・〕

私はフロイトの小さなテキストを拡大し、性関係はないものとしての原抑圧の名を強調しよう。Alors, je n'ai prolongé ce petit texte de Freud par ce divertissement que pour souligner le nom du refoulement primordial comme Il n'y a pas de rapport sexuel, 〔・・・〕

排除と呼ばれるこの病い、女なるものの排除、これが「性関係はない」を構成する。que cette maladie s'appelle la forclusion, la forclusion de la femme, qu'elle comporte qu'il n'y a pas de rapport sexuel.(Jacques-Alain Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008)


※この「女なるものの排除」は、女性はファルスのシニフィアンが欠如しているという意味での女性のシニフィアンの排除が一般的には強調されてきたが、根にあるのは、母なる女の排除[la forclusion de la femme en tant que mère]である。


(原母子関係には)母なる女の支配がある。語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。女なるものは、享楽を与えるのである、反復の仮面の下に。[une dominance de la femme en tant que mère, et :   - mère qui dit,  - mère à qui l'on demande,  - mère qui ordonne, et qui institue du même coup cette dépendance du petit homme.  La femme donne à la jouissance d'oser le masque de la répétition.] (ラカン, S17, 11 Février 1970)



⑥母の名の排除[la forclusion du Nom de la Mère ]

父の名は母の欲望を隠喩化する。この母の欲望は、享楽の名のひとつである。この享楽は禁止されなければならない。我々はこの拒絶を「享楽の排除」あるいは「享楽の外立」用語で語りうる。二つは同じである。

Le nom du père métaphorise le désir de la mère […] ce désir de la mère, c'est un des noms de la jouissance. […] jouissance est interdite […] on peut aussi parler de ce rejet en terme de forclusion de la jouissance, ou d'ex-sistence de la jouissance. C'est le même. (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011)

われわれがS1としての父の名を分離する瞬間から、われわれが父の名による隠喩作用を支える瞬間から、母の名は原享楽を表象するようになる。

A partir du moment où on isole comme S1 le Nom-du-Père, à partir du moment où on fait supporter cette opération de métaphore par le Nom-du-Père, alors c'est le nom de la mère qui vient représenter la jouissance primordiale (J.-A. Miller, CAUSE ET CONSENTEMENT, 23 mars 1988)


※参照➡︎母なるシニフィアンの排除[une forclusion du signifiant maternel]




享楽の排除[la forclusion de la jouissance]

=モノの排除[la forclusion de la Chose]

母の名の排除[la forclusion du Nom de la Mère ]

(母の排除[la forclusion de la Mère])



……………


確認】


❶母=現実界の名=原穴の名=身体の大他者=原享楽の大他者

母の基底にあるのは、「原現実界の名」である。それは「母の欲望」であり、シニフィアンの空無化作用によって生み出された「原穴の名 」である。

Mère, au fond c’est le nom du premier réel, DM (Désir de la Mère)c’est le nom du premier trou produit par l’opération de vidage par le signifiant. (コレット・ソレール Colette Soler, Humanisation ? , 2014)

母なる対象はいくつかの顔がある。まずは「要求の大他者」である。だがまた「身体の大他者」、「原享楽の大他者」である[L'objet maternel a plusieurs faces : c'est l'Autre de la demande, mais c'est aussi l'Autre du corps…, l'Autre de la jouissance primaire.](Colette Soler , LE DÉSIR, PAS SANS LA JOUISSANCE Auteur :30 novembre 2017)

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)


❷現実界の享楽=母なるモノ=穴

享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel] (Lacan, S23, 13 Avril 1976)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノdas Dingの場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.   ](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel … ça fait « troumatisme ».](Lacan , S21, 19 Février 1974)


❸モノ=母=享楽=穴

モノは母である[das Ding, qui est la mère ](Lacan,  S7 16 Décembre 1959)

モノは享楽の名である[das Ding…est tout de même un nom de la jouissance](J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)

ラカンが認知したモノとしての享楽の価値は、穴と等価である[La valeur que Lacan reconnaît ici à la jouissance comme la Chose est équivalente à l'Autre barré [Ⱥ]] (J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)


❹現実界の享楽=外立=排除=原抑圧=穴(トラウマ)

外立の現実界がある [il a le Réel de l'ex-sistence] (Lacan, S22, 11 Février 1975)

享楽は外立する[la jouissance ex-siste.](Lacan, S22, 17 Décembre 1974)


現実界の排除[forclusion du réel] (J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE COURS DU 21 JANVIER 1987)

現実界の外立[l'ex-sistence du réel.] (J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 11 FEVRIER 1987)

享楽の排除と享楽の外立は等価である[terme de forclusion de la jouissance, ou d'ex-sistence de la jouissance. C'est le même. ](J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011)


原抑圧の外立 [l'ex-sistence de l'Urverdrängt] (Lacan, S22, 08 Avril 1975)

原抑圧は排除である[refoulement originaire…à savoir la forclusion. ](J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE COURS DU 3 JUIN 1987)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.] (Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。…穴は原抑圧と関係がある[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou.…La relation de cet Urverdrängt](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)


外立自体は穴をなすこととして定義される[L'ex-sistence comme telle se définit,…- fait trou.](Lacan, S22, 17 Décembre 1974)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)




……………


なお原抑圧(排除)とは固着である。

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ](フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)


したがって母の名の排除とは事実上、母への固着と等価である。

おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年)

出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう「原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)


享楽の排除の穴=トラウマ、…それは皮肉にも、ラメラ神話、つまり高等動物の性的再生産によって現実的に喪われた生の部分の神話を生み出した。…つまりリアルな穴の神話である。Le troumatisme de la forclusion de la jouissance [...] En produisant ironiquement le mythe de la lamelle [...] mythe d'une part de vie perdue réellement du fait de la reproduction sexuée des espèces supérieures [...] Un mythe du trou réel  (Colette Soler, Les affects lacaniens, 2011)