ミレールによる超自我注釈の第三弾である。 ◾️超自我と原抑圧の一致 |
超自我と原抑圧を一緒にするのは慣例ではないように見える。だが私はそう主張する。私は断固としてそう言い、署名する。 Ca ne paraît pas habituel que le surmoi et le refoulement originaire puissent être rapprochés, mais je le maintiens. Je persiste et je signe.〔・・・〕 あなたがたは盲目的でさえ見ることができる、超自我は原抑圧と合致しうしるのを。実際、古典的なフロイトの超自我は、エディプスコンプレクスの失墜においてのみ現れる。それゆえ超自我と原抑圧との一致がある。Vous voyez bien que, même à l'aveugle, on est conduit à rapprocher le surmoi du refoulement originaire. En effet, le surmoi freudien classique n'émerge qu'au déclin du complexe d'OEdipe, et il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire. (J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982) |
ここではこの最初期のセミネールにおけるミレール発言のみをめぐり、ラカンの発言、フロイトの記述において確認する。 ①ラカンにおける超自我=原抑圧=現実界=トラウマの穴 |
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私は大他者に斜線を記す、Ⱥ(穴)と。…これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。この対象aは現実界であり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある[Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a). …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rapport au surmoi : ](Lacan, S13, 09 Février 1966) |
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私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
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現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
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②フロイトにおける超自我=固着=原抑圧=異者=トラウマ |
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超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
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われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。問題となっている代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。 Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden. 〔・・・〕 この欲動代理[Triebrepräsentanz]は抑圧により意識の影響をまぬがれると、よりいっそう自由に豊かに展開する。それはいわば暗闇に蔓延り、極端な表現形式を見いだし、異者[fremd]のようなものとして現れる。 die Triebrepräsentanz sich ungestörter und reichhaltiger entwickelt, wenn sie durch die Verdrängung dem bewußten Einfluß entzogen ist. Sie wuchert dann sozusagen im Dunkeln und findet extreme Ausdrucksformen, […] fremd erscheinen müssen (フロイト『抑圧』1915年) |
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トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
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※なおフロイトラカンにおいて原超自我が母であることは、超自我文献①を参照。
以上、ラカンの現実界はフロイトの次の用語群に相当する。 つまりこれらはすべて事実上、一致している。後期ラカンの現実界の症状「サントーム」概念自体、事実上、これらの用語群と等価である。
一般的にはサントームが超自我というのは奇妙だろうがね、➡︎ サントームは超自我の別の名[Le sinthome est un autre nom du Surmoi ] だがサントームはたんに欲動に過ぎない、超自我もしかり。
すなわち母の症状、厳密にいえば母による身体の上への刻印の症状、つまり超自我なる母への固着の症状である(参照)。 ーー《おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ]》(フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年) すなわちサントームも超自我も幼児期に母によってトラウマ的固着された欲動かつその反復である、《幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( 『性理論三篇』1905年)、《トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]》(『続精神分析入門』第29講, 1933 年)。 |