2024年3月17日日曜日

抑圧文献⑧ーー原抑圧された対象a

 

さて抑圧をめぐって7回、いや実際は8回続けた。


抑圧文献簡易版ーー原抑圧[Urverdrängung]と固着[Fixerung]と異者としての身体 [Fremdkörper]

抑圧文献①ーー抑圧された幼児期の出来事[verdrängten Kindererlebnisse]

抑圧文献②ーー抑圧されたマゾヒズム[verdrängte Masochismus]

抑圧文献③ーー翻訳の失敗[Versagung der Übersetzung]

抑圧文献④ーー欲動代理[Triebrepräsentanz]

抑圧文献⑤ーー境界表象 [Grenzvorstellung]

抑圧文献⑥ーー排除[Verwerfung]

抑圧文献⑦ーー解離[Dissoziation]



これらの抑圧は主に抑圧の第一段階としての原抑圧=固着をめぐっている。少なくとも後期フロイトにとって抑圧されたものはほとんどすべて原抑圧されたものであり、抑圧されたものの回帰とは固着点への退行なのである。


抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰 [des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ]。この侵入は固着点から始まる。そしてリビドー的展開の固着点への退行を意味する[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )第3章、1911年)


その意味で⓪の「原抑圧[Urverdrängung]と固着[Fixerung]と異者としての身体 [Fremdkörper]」が最も重要であり、後は派生物である。今回は⓪に戻ろう。



⓪で示したように(原)抑圧されたものの回帰の核は、《リビドー的展開の固着点への退行 [Regression der Libidoentwicklung bis zu der Stelle der Fixierung]》であり、異者としての身体[Fremdkörper]とは固着によってエスに置き残されるエスの欲動としての本来の無意識である。この置き残しをフロイトは固着の残滓ーー《以前のリビドー固着の残滓[Reste der früheren Libidofixierungen]》(『終りある分析と終りなき分析』)ーーとも言ったが、これは「抑圧文献③ーー翻訳の失敗[Versagung der Übersetzung]」に示してある。




この固着の残滓がラカンのリアルな対象aであり、享楽にほかならない。



まず対象a=残滓=固着=異者身体=享楽である。

残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu.  Ce reste, …c'est le petit(a).  ](Lacan, S10, 21 Novembre  1962)

対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)

フロイトの異者は、置き残し、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

享楽は、残滓 (а)  による[la jouissance…par ce reste : (а)  ](Lacan, S10, 13 Mars 1963)


そしてこの対象aは現実界でありトラウマの穴である。

対象aは現実界の審級にある[(a) est de l'ordre du réel.]   (Lacan, S13, 05 Janvier 1966)

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である[ l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel](Lacan, S16, 27 Novembre 1968)

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](ラカン、S21、19 Février 1974)


このトラウマの穴こそ原抑圧の穴、享楽の穴=欲動の穴である。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.](Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)


さらにこの現実界のトラウマが固着のトラウマ、固着の異者身体である。

現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](ラカン、S11、12 Février 1964)

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)

同化不能の異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)



つまり対象aとしての固着の異者こそ原抑圧されたものにほかならない。



確認しよう。抑圧の第一段階(原抑圧)は不快な欲動の抑圧、異者身体の抑圧である。

抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年)

不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年)

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである[das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. ]〔・・・〕


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen] (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


ラカンの現実界の享楽はこのエスの欲動としての異者身体である。

不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異者対象として識別される[c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt ] (Lacan, S11, 17 Juin  1964)

不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)

享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)


すなわちラカンの現実界の享楽は抑圧の第一段階としての原抑圧されたものにほかならず、これがリアルな対象aである。一言でいえば、「原抑圧された対象a」。


対象aは穴である[ l'objet(a), c'est le trou ](Lacan, S16, 27 Novembre 1968)

私が目指すこの穴を原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.](Lacan, S23, 09 Décembre 1975)