ここではまずフロイトのトラウマの定義のひとつを抽出するが、その前段の外傷神経症をめぐる記述も含めて掲げる。
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外傷神経症は、トラウマ的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している。Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt.
これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況を反復する。In ihren Träumen wiederholen diese Kranken regelmäßig die traumatische Situation;
また分析の最中にヒステリー形式の発作がおこる。この発作によって、患者は外傷的状況のなかへの完全な移行に導かれる事をわれわれは見出す。
wo hysteriforme Anfälle vorkommen, die eine Analyse zulassen, erfährt man, daß der Anfall einer vollen Versetzung in diese Situation entspricht.
それは、まるでその外傷的状況を終えていず、処理されていない急を要する仕事にいまだに直面しているかのようである。…Es ist so, als ob diese Kranken mit der traumatischen Situation nicht fertiggeworden wären, als ob diese noch als unbezwungene aktuelle Aufgabe vor ihnen stände〔・・・〕
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この状況が我々に示しているのは、心的過程の経済論的観点である。事実、「外傷的=トラウマ的」という用語は、経済論的な意味以外の何ものでもない。sie zeigt uns den Weg zu einer, heißen wir es ökonomischen Betrachtung der seelischen Vorgänge.
われわれは「トラウマ的」という語を次の出来事に用いる。すなわち、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす出来事である。
Ja, der Ausdruck traumatisch hat keinen anderen als einen solchen ökonomischen Sinn. Wir nennen so ein Erlebnis, welches dem Seelenleben innerhalb kurzer Zeit einen so starken Reizzuwachs bringt, daß die Erledigung oder Aufarbeitung desselben in normalgewohnter Weise mißglückt, woraus dauernde Störungen im Energiebetrieb resultieren müssen. (フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)
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トラウマの定義は最後のパラグラフである。
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他方、『性理論』にある欲動の定義を抽出して見てみよう。
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「欲動」という名のもとにわれわれが理解することのできるのは、さしあたり、休むことなく流れている、身体的刺激源の心的代理以外のなにものでもない。〔・・・〕したがって欲動は心的なものと身体的なものの境界にある概念である。この欲動の本性についてのもっとも単純でもっとありうる想定は、欲動はそれ自身いかなる質ももたず、心的生の作動要求の手段としてのみ捉えられるということである。
Unter einem »Trieb« können wir zunächst nichts anderes verstehen als die psychische Repräsentanz einer kontinuierlich fließenden, innersomatischen Reizquelle, (…) Trieb ist so einer der Begriffe der Abgrenzung des Seelischen vom Körperlichen. Die einfachste und nächstliegende Annahme über die Natur der Triebe wäre, daß sie an sich keine Qualität besitzen, sondern nur als Maße von Arbeitsanforderung für das Seelenleben in Betracht kommen.(フロイト『性理論三篇』第一篇(5) 、1905年)
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このトラウマの定義と欲動の定義は実によく似ている。私はフロイトの欲動がトラウマであることをしばしば異者としての身体 [Fremdkörper] 概念ーー邦訳では「異物」と訳されてきたーーを通して示してきたが、その内実は上の二文にあると言ってもよいかも知れない。
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トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。〔・・・〕
このトラウマは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。
..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz … leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)
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自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)
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すなわち異者としての身体はトラウマかつエスの欲動蠢動である。
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そしてこのレミニサンスする異者身体のトラウマがラカンの現実界のトラウマである。
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私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage. …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence. …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要)
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つまりラカンの現実界はフロイトのエスの欲動蠢動のトラウマにほかならない。
現実界とは現実界の享楽である、ーー《享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel]》(Lacan, S23, 10 Février 1976)
ラカンは穴概念を通して、享楽と欲動を等置している。
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享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)
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欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
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この穴こそトラウマの穴であり、身体ーー異者としての身体ーーである。
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現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](ラカン、S21、19 Février 1974)
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身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)
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われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976)
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繰り返せば、ラカンの現実界の享楽はエスの欲動としての異者身体のトラウマにほかならない。
さらにラカンはこのトラウマの穴を原抑圧の穴だと言っている。
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私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.](Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
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フロイトにおいて第一次抑圧としての原抑圧は欲動の固着であり、この固着に伴い異者が発生する。
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抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕
この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege]
(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )第3章、1911年)
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われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。問題となっている代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。
Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden. 〔・・・〕
この欲動代理[Triebrepräsentanz]は抑圧により意識の影響をまぬがれると、よりいっそう自由に豊かに展開する。それはいわば暗闇に蔓延り、極端な表現形式を見いだし、異者[fremd]のようなものとして現れる。
die Triebrepräsentanz sich ungestörter und reichhaltiger entwickelt, wenn sie durch die Verdrängung dem bewußten Einfluß entzogen ist. Sie wuchert dann sozusagen im Dunkeln und findet extreme Ausdrucksformen, […] fremd erscheinen müssen (フロイト『抑圧』1915年)
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前期ラカンはすでに次のように言っている。
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現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](ラカン、S11、12 Février 1964)
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固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954)
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この同化不能こそフロイトにおいて異者身体の定義である。
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同化不能の異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年)
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つまりラカンにおいて、「現実界のトラウマ=原抑圧の穴=固着のトラウマ=固着の異者身体」にほかならない。
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…………………
ところでフロイトは《欲動は、心的なものと身体的なものとの境界概念である[der »Trieb« als ein Grenzbegriff zwischen Seelischem und Somatischem]》(フロイト『欲動および欲動の運命』1915年)としたが、重要なのは欲動とは心的生に課される身体的要求であり、心的なものよりも身体的なもの側にある概念である。
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エスの欲求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)
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フロイトはエス概念のまだない『快原理の彼岸』の段階では身体内部から起こる欲動を「有機体の欲動」と表現している、
……このような内部興奮の最大の根源は、いわゆる有機体の欲動[Triebe des Organismus]であり、身体内部[Körperinnern]から派生し、心的装置に伝達されたあらゆる力作用の代表であり、心理学的研究のもっとも重要な、またもっとも暗黒な要素 [dunkelste Element]でもある。
Die ausgiebigsten Quellen solch innerer Erregung sind die sogenannten Triebe des Organismus, die Repräsentanten aller aus dem Körperinnern stammenden, auf den seelischen Apparat übertragenen Kraftwirkungen, selbst das wichtigste wie das dunkelste Element der psychologischen Forschung. (フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)
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要するに欲動とはまずは身体に関わる。そしてこの欲動の身体は不快の性質をもっている。
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不快な性質をもった身体的感覚[daß Körpersensationen unlustiger Art](フロイト『ナルシシズム入門』1914年)
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不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年)
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この不快な欲動の身体が異者身体であり享楽である。
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不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異物として識別される[c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt ] (Lacan, S11, 17 Juin 1964)
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不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)
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フロイトの不快の定義は不安かつトラウマである。
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不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)
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不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)
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こうして三つの視点から欲動がトラウマであることが確認できた筈である。
さらにフロイトの「エスの欲動」とラカンの「現実界の享楽」は次の用語群にて等価であることを見た。
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