前回の「超自我文献①ーーエディプス的超自我[Ödipales Über-Ich]と前エディプス的超自我[Präödipales Über-Ich]」にて、取り入れ用語と同一化用語をベースにして、原超自我は母であることを見た。 |
超自我への取り入れ[Introjektion ins Über-Ich]……幼児は、優位に立つ権威を同一化によって自分の中に取り入れる。 するとこの他者は、幼児の超自我になる[das Kind ...indem es diese unangreifbare Autorität durch Identifizierung in sich aufnimmt, die nun das Über-Ich wird ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第7章、1930年) |
《優位に立つ権威を同一化によって自分の中に取り入れる》における最初の権威[Autorität]は母なのである。これ自体、ラカンは原大他者[Autre primitif]という語を使い次のように言っている。 |
全能の構造は、母のなかにある、つまり原大他者のなかに。…それは、あらゆる力をもった大他者である[la structure de l'omnipotence, …est dans la mère, c'est-à-dire dans l'Autre primitif… c'est l'Autre qui est tout-puissant](Lacan, S4, 06 Février 1957) |
つまり、《全能の力、われわれはその起源を父の側に探し求めてはならない。それは母の側にある[La toute-puissance, il ne faut pas en chercher l'origine du côté du père, mais du côté de la mère]》(J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016)ということになる。 |
すなわち、超自我への取り入れ[Introjektion ins Über-Ich]の原点にあるのは母との同一化による自我への取り入れにほかならない。 |
ところで、フロイトは拘束[Bindung]用語を使って次のように言っている。 |
超自我へのエロス的拘束[einer erotischen Bindung an das Über-Ich](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』8章、1930年) |
原超自我が母という前提に立てば、上の《超自我へのエロス的拘束[erotischen Bindung an das Über-Ich]》は次の《母へのエロス的固着[erotischen Fixierung an die Mutter]》ととてもよく似ている。 |
母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
実際、フロイトは「女性性」をめぐる1933年の講義で、《前エディプス的母への拘束[präödipale Mutterbindung]》と固着を結びつけつつ、前エディプス期の《母との同一化 [Mutteridentifizierung]》を語っている。 |
少女のエディプスコンプレクスは、前エディプス的母への拘束[präödipale Mutterbindung] の洞察を覆い隠してきた。しかし、この前エディプス的母への拘束はこよなく重要であり永続的な固着[nachhaltige Fixierungen]を置き残す。 Der Ödipuskomplex des Mädchens hat uns lange den Einblick in dessen präödipale Mutterbindung verhüllt, die doch so wichtig ist und so nachhaltige Fixierungen hinterläßt.〔・・・〕 |
前エディプス期の固着への退行はとてもしばしば起こる[Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig;]〔・・・〕 女性の母との同一化 [Mutteridentifizierung]は二つの相に区別されうる。つまり、前エディプス期の相、すなわち母への情動的拘束と母をモデルとすること。そして、エディプスコンプレックスから来る後の相、すなわち、母を追い払い、母の場に父を置こうと試みること。Die Mutteridentifizierung des Weibes läßt zwei Schichten erkennen, die präödipale, die auf der zärtlichen Bindung an die Mutter beruht und sie zum Vorbild nimmt, und die spätere aus dem Ödipuskomplex, die die Mutter beseitigen und beim Vater ersetzen will. どちらの相も、後に訪れる生に多大な影響を残すのは疑いない。そしてどちらの相も、生の過程において充分には克服されない。 しかし前エディプス期の相における情動的拘束が女性の未来にとって決定的である。 die Phase der zärtlichen präödipalen Bindung ist die für die Zukunft des Weibes entscheidende; (フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『新精神分析入門講義』第33講「女性性 Die Weiblichkeit」 1933年) |
フロイトはここでは女性性をめぐって語っているが、この前エディプス期の固着[Fixierungen jener präödipalen Phasen]はもちろん女性に限らない。 以上から、前エディプス期の《超自我への拘束[Bindung an das Über-Ich]》は《母への拘束[Bindung an die Mutter ]》であり、《母への固着[Fixierung an die Mutter]》と等置しうる。そして、これらは超自我への固着[Fixierung an das Über-Ich]を意味すると捉えうる。 フロイトにはこの「超自我への固着」という表現の仕方は直接的にはないが、最晩年のフロイトは超自我と欲動の固着を結びつけて記述している。 |
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
なおフロイトは欲動の拘束 [Bindung des Triebes]と固着を等置しつつ次のように叙述していることを示しておこう。 |
欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。 Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. (…) Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト『欲動とその運命』1915年) |
超自我への固着とは超自我への欲動の拘束 [Bindung des Triebes an das Über-Ich ]であり、これは超自我への欲動の固着[Fixierung der Triebe an das Über-Ich]にほかならないだろう。 |