ラカンの現実界はフロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。それは言説のなかの穴である[ce réel de Lacan … c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou dans le discours. ] (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011) |
前回、穴Ⱥよりも穴のシニフィアンS(Ⱥ)、つまりトラウマの表象のほうが重要と記したが、もともとトラウマ的出来事は表象だよ。 |
例えば、中井久夫が掲げている次の事例は典型例だ。 |
私の子ども時代といえば、明治生まれはまだ若くて、元治だとか嘉永だとか万延生まれの人がおられました。この時代、日露戦争の勇士は戦争体験を語らないと言われていました。一般に明治人は寡黙であり、これは明治人の人徳であると思われてしました。けれども、今から考えるとそうではなくて、日露戦争は、最後は白兵線つまり銃剣で戦われたわけです。それはほとんど語りえないものであったのではないだろうかと思うのです。 その一つの傍証を挙げましょう。精神科の大先輩の話ですが、軍医として太平洋戦争に参加している人です。一九七七年にジャワで会った時には、戦争初期のジャワでの暮らしが、いかに牧歌的であったかという話を聞かせてくれました。先生はその後ビルマに行かれたのですが、そちらに話を向けても「あっ、ビルマ。ありゃあ地獄だよ」と言ってそれでおしまいでした。 |
ところが一九九五年の阪神淡路大地震のあとお会いした時には、「実は、今でもイギリスの戦闘機に追いかけられる夢を毎晩見るんだ」ということを言われました。震災について講演に行くと、最前列に座っているのが白髪の精神科の長老たちで、これまであまり側に寄れなかったような人たちですが、講演がすんだら握手を求めに来て「戦争と一緒だねえ」というようなことを言われるわけですね。神戸の震災によって外傷的な体験というものが言葉で語ってもいいという市民権を得たのだなと思いました。それまでずっと黙っておられたのですね。(中井久夫「外傷神経症の発生とその治療の試み」2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
《イギリスの戦闘機に追いかけられる》表象、これが反復強迫するんだ。つまり、死の欲動だ、ーー《われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす。Charakter eines Wiederholungszwanges […] der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.》(フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年) |
フロイトは反復強迫を例として「死の本能」を提出する。これを彼に考えさせたものに戦争神経症にみられる同一内容の悪夢がある。…これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年) |
で、フロイトはこのトラウマ的出来事(表象)への固着の反復を記している。 |
外傷神経症は、トラウマ的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している。これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況を反復する[Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. In ihren Träumen wiederholen diese Kranken regelmäßig die traumatische Situation](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年) |
トラウマの表象S(Ⱥ)が固着だというのはまずはここにある。 |
例えばラカンが次のように言っているのがS(Ⱥ)の内実のひとつである。 |
シニフィアンは享楽の原因である。シニフィアンなしで、身体のこの部分にどうやって接近できよう? [Le signifiant c'est la cause de la jouissance : sans le signifiant, comment même aborder cette partie du corps ? ](Lacan, S20, December 19, 1972) |
これは事実上、トラウマ的出来事はトラウマの原因ーートラウマ的反復の原因ーーだということを言っている。前回記したように穴Ⱥとはトラウマであると同時に、身体である、ーー《現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».]》(Lacan, S21, 19 Février 1974)、《身体は穴である[(le) corps…C'est un trou]》(Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice) で、享楽はもちろん現実界のトラウマであり、固着である。 |
享楽は身体の出来事である。享楽はトラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。享楽は固着の対象である[la jouissance est un événement de corps(…) la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard,(…) elle est l'objet d'une fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011) |
身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point] ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021) |
これらが前回示した次の図の意味だよ。
もっともここで注意しなくてはならないのは、フロイトの原症状としてのトラウマは幼児期の出来事だということ。 |
我々は、あらゆる神経症の根に横たわっている抑圧を、トラウマに対する反応、基本的な外傷神経症と呼ぶことができる[man kann doch die Verdrängung, die jeder Neurose zu Grunde liegt, mit Fug und Recht als Reaktion auf ein Trauma, als elementare traumatische Neurose bezeichnen. ](フロイト「『戦争神経症の精神分析のために』への序言」 Einleitung zu Zur Psychoanalyse der Kriegsneurosen, 1919年) |
ーーここでの抑圧は前回示したように原抑圧としての欲動の固着[Fixierungen der Triebe]。 で、フロイトは幼児期の外傷神経症を言っている。 |
トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]〔・・・〕ここで外傷神経症は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[Die traumatische Neurose zeigt uns da einen extremen Fall, aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen](フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年) |
われわれの研究が示すのは、神経症の現象 (症状)は、或る出来事と印象(刻印)の結果だという事である。したがってそれを病因的トラウマと見なす。Es hat sich für unsere Forschung herausgestellt, daß das, was wir die Phänomene (Symptome) einer Neurose heißen, die Folgen von gewissen Erlebnissen und Eindrücken sind, die wir eben darum als ätiologische Traumen anerkennen.〔・・・〕 この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる。 ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an〔・・・〕 |
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに取り込まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印 と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
この幼児期の身体の出来事への固着の反復ーー固着とは、厳密には欲動の固着、《幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]》( フロイト『性理論三篇』1905年)ーー 、これがフロイトの原症状にほかならない。この意味でラカンの現実界は幼児期の外傷神経症であり、これが人がみなもっているトラウマである、ーー《人はみなトラウマ化されている。 この意味はすべての人にとって穴があるということである[tout le monde est traumatisé …ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou]》(J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 ) |
フロイトは幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance]. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000) |
享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation (…) on y revient toujours.] (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009) |
分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
これだけではわかりにくいかもしれないが、今回は以上にしておくよ。