通常、抑圧と排除が異なるものであることを言い募るために『症例狼男』の次の簡潔な文が提示される。 |
抑圧は排除とは別の何ものかである[Eine Verdrängung ist etwas anderes als eine Verwerfung. ](フロイト『ある幼児期神経症の病歴より』(症例狼男)1918年) |
ーー抑圧と排除とは違うんですよ、これは最も基本、間違いないでよ!という具合に。 |
ところでフロイトは『快原理の彼岸』では排除と抑圧を等置して使っている。 |
排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年) |
抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年) |
一見とても奇妙であるが、『症例狼男』の文の信奉者らしきフロイト学者は絶句する。 |
さらに追い討ちをかけるように次の二文を提示することもできる。 |
抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年) |
不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年) |
おい、抑圧されたものは不快な欲動だと言ってるぜ、これが排除された欲動だよ、チガウノカイ? これで『症例狼男』の抑圧と排除の相違の指摘をひたすら信奉するキャベツ頭はますます困窮する。 これは10年ぐらい前の昔の話で、私はツイッターを始めた頃、ほぼこうやってキャベツを嘲弄したことがあるんだが、こういうキャベツ頭のフロイト研究者は今でいるらしい・・ |
ここで当面、そこのキャベツさんのためにセミネールⅠのラカンを引用しておこう。 |
次のことを忘れないように。抑圧は何よりもまず固着としてフロイトは説明している。しかし固着の時期、抑圧のようなものはなにもない。狼男の抑圧は固着のはるか後に生じる。抑圧は常に後期抑圧である。 N'oubliez pas ceci, que la façon dont FREUD explique le refoulement est d'abord une fixation. Mais à ce moment-là il n'y a rien qui ne soit le refoulement comme le cas de L'Homme aux loups, il se produit bien après la fixation. La Verdrängung est toujours une Nachdrängung. (Lacan, S1, 07 Avril 1954) |
ここでのラカンを受け入れるなら、《抑圧は排除とは別の何ものかである[Eine Verdrängung ist etwas anderes als eine Verwerfung. ]》とは、「後期抑圧と固着は別ものである」となるが、これでは表現上当たり前過ぎる。その内実は同一だとはいえ、いくらか微調整しよう。 まず排除とは原抑圧である、《原抑圧の名は排除と呼ばれる[le nom du refoulement primordial…s'appelle la forclusion]》(J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008) |
そしてこの排除なる原抑圧が《欲動の固着[Fixierungen der Triebe]》である。さらにフロイトは後期抑圧を1911年の『症例シュレーバー』時点では《正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]》と言っている[参照]。 つまり『症例狼男』の《抑圧は排除とは別の何ものかである》とは「正式の抑圧と原抑圧は別もの」という意味である。とはいえ、フロイトは原抑圧された欲動[Urverdrängte Trieb]に相当する表現は生涯一度だけしか使っていないーー《原初に抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe]》(『症例シュレーバー』第3章)。これ以外は欲動に関わる抑圧は最晩年に至るまで《抑圧された○○[verdrängte ○○]である。 例えば抑圧されたエスーー、 |
抑圧されたエス[verdrängte Es](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
初期のトラウマの刻印は、前意識に翻訳されないか、抑圧によってすばやくエス状態に戻される。Die Eindrücke der frühen Traumen, von denen wir ausgegangen sind, werden entweder nicht ins Vorbewußte übersetzt oder bald durch die Verdrängung in den Eszustand zurückversetzt. (フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten、1939年) |
欲動とはもちろんエスの欲動であり、抑圧されたエスは、厳密には抑圧の第一段階としての「原抑圧されたエスの欲動」にほかならない。このあたりが抑圧概念がフロイトが死んで100年近くたってもいまだ理解されていない理由である。 |