2024年3月14日木曜日

抑圧文献③ーー翻訳の失敗[Versagung der Übersetzung]

 


初期フロイトはフリース宛書簡で、「抑圧は翻訳の失敗」だとした。

翻訳の失敗、これが臨床的に「抑圧」呼ばれるものである[Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch  „Verdrängung“ heißt.](フロイト、フリース宛書簡 Brief an Fließ, 6.12.1896)


この翻訳[Übersetzung]という語は最晩年の『モーセと一神教』にも使われている。

忘れられたものは消去されず、ただ「抑圧 」されるだけである。その記憶痕跡は、全き新鮮さのままで現存するが、対抗備給[Gegenbesetzungen]により分離されているのである。それは他の知的過程とコミュニケーションできず、無意識的であり、意識にはアクセス不能である。抑圧されたものの或る部分は、対抗過程をすり抜け、記憶にアクセス可能なものもありうる。だがそうであっても、異者としての身体[Fremdkörper]として分離されている。

Das Vergessene ist nicht ausgelöscht, sondern nur »verdrängt«, seine Erinnerungsspuren sind in aller Frische vorhanden, aber durch »Gegenbesetzungen« isoliert. Sie können nicht in den Verkehr mit den anderen intellektuellen Vorgängen eintreten, sind unbewußt, dem Bewußtsein unzugänglich. Es kann auch sein, daß gewisse Anteile des Verdrängten sich dem Prozeß entzogen haben, der Erinnerung zugänglich bleiben, gelegentlich im Bewußtsein auftauchen, aber auch dann sind sie isoliert, wie Fremdkörper außer Zusammenhang mit dem anderen. 〔・・・〕

抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う。〔・・・〕自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳[Übersetzung]に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである。Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, […] das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand geho-ben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück.(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


ここでフロイトは言っているのは、エスの一部が自我あるいは前意識に「翻訳」されず、身体的なものーー異者としての身体ーーが本来の無意識としてエスに置き残されるということである。


最晩年のフロイトの定義においてエスの欲動は身体的要求である。

エスの要求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された力を欲動と呼ぶ。欲動は心的生に課される身体的要求である[Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe.Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben.](フロイト『精神分析概説』第2章1939年)


これをフロイトは異者身体と呼んだのである。



さて上の『モーセと一神教』に現れる、置き残される[bleibt…zurück]  ーー《本来の無意識としてエスに置き残される[bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück.]》ーーつまり置き残し[Zurückbleiben]という表現は『終りある分析と終りなき分析』に次のような形で使われている。


常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)


ここでフロイトが言っているのは、固着の残滓=固着の置き残しであり、これが『モーセと一神教』における異者としての身体のエスへの置き残しを意味する。


異者としての身体[Fremdkörper]ーー邦訳では「異物」とも訳されてきたーーこの概念をフロイトは初期から多用しているが、この定義は何よりもまずエスの欲動蠢動かつトラウマである。

自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである[das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es ...in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. ]〔・・・〕


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen] (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。〔・・・〕


これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)


さらにこうもある。

同化不能の異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年)


この同化不能とは自我に取り入れ不能を意味している。

以上から、「抑圧=翻訳の失敗=固着の残滓=同化不能の異者としての身体」と置くことができる。



なおここでの抑圧は抑圧の第一段階としての原抑圧[Urverdrängung] であることは「抑圧文献簡易版」で見てある。


ラカンの現実界の享楽はこれらのフロイト用語群に基盤がある。


ここまで示してきた用語群なら次のものである。




残滓…現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)

フロイトの反復は、同化不能の現実界のトラウマである。まさに同化されないという理由で反復が発生する[La répétition freudienne, c'est la répétition du réel trauma comme inassimilable et c'est précisément le fait qu'elle soit inassimilable qui fait de lui, de ce réel, le ressort de la répétition.](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011)