①死の欲動は享楽の回帰に基づいている |
反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
ラカンが上のように言ったときの反復はフロイトの反復強迫であり、死の欲動である。 |
われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年) |
したがって次のようにある。 |
死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[le chemin vers la mort n'est rien d'autre que ce qu'on appelle la jouissance. ](Lacan, S17, 26 Novembre 1969) |
これは後年まで変わらない。 |
享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel] (Lacan, S23, 10 Février 1976) |
死の欲動は現実界である[La pulsion de mort c'est le Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976) |
つまり冒頭の文は、「死の欲動は享楽の回帰に基づいている」と言い換えうる。簡潔に言えば、享楽は死の欲動である。 |
②享楽は去勢喪失トラウマ |
ラカンは享楽を次のように定義した。 |
享楽は去勢である[la jouissance est la castration](Lacan parle à Bruxelles, 26 Février 1977) |
享楽の喪失がある[il y a déperdition de jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
穴、すなわち喪失の場処 [un trou, un lieu de perte] (Lacan, S20, 09 Janvier 1973) |
要するに、享楽は去勢=喪失=トラウマである。 |
去勢は享楽の喪失である[ la castration… une perte de jouissance](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011) |
享楽はトラウマの審級にある[la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011) |
したがって①の「反復は享楽の回帰=死の欲動は享楽の回帰」とは「死の欲動は去勢というトラウマ的喪失の回帰」となる。 |
③享楽の対象は喪われた母の身体 |
ラカンにおいて享楽の対象は喪われたモノである。 |
享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
モノとは母なるモノであり、その核は母の身体である。 |
母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16 Décembre 1959) |
モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20 Janvier 1960) |
この喪われた母の身体は究極的には胎盤である。 |
例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象を徴示する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. ](Lacan, S11, 20 Mai 1964) |
④フロイトにおける「去勢喪失トラウマ」という母なる対象の喪失 |
フロイトにとっても、ラカンが示しているのと同様に、去勢=喪失=トラウマであり、母なる対象の喪失に関わる。 |
乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり、自己身体の重要な一部の喪失と感じるにちがいない。〔・・・〕そればかりか、出生行為はそれまで一体であった母からの分離として、あらゆる去勢の原像である[der Säugling schon das jedesmalige Zurückziehen der Mutterbrust als Kastration, d. h. als Verlust eines bedeutsamen, …ja daß der Geburtsakt als Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war, das Urbild jeder Kastration ist. ](フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註) |
母の喪失というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この喪われた対象[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
この去勢なるトラウマ的母の喪失は、究極的には喪われた子宮内生活であり、ラカンの喪われた胎盤と等置しうる。 |
心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている。Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation.(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
喪われた子宮内生活 [das verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
⑤母胎回帰欲動という死の欲動 |
フロイトは欲動の普遍的性質を次のように定義した。 |
以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要) |
そして、ここまで示してきたように、究極の以前の状態への回帰とは喪われた子宮内生活としての母胎への回帰であり、これが死の欲動である。 |
人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…) eine solche Rückkehr in den Mutterleib.] (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年) |
母胎回帰としての死[Tod als Rückkehr in den Mutterleib ](フロイト『新精神分析入門』第29講, 1933年) |
ジャック=アラン・ミレールが「根源的に喪われた対象を見い出すための反復」と言っているのは、この喪われた母胎を取り戻そうとする欲動回帰としての反復にほかならない。 |
ラカンは反復と喪われた対象との結びつきを常に強調した。…ラカンは根源的に喪われた対象をふたたび見出すための努力として反復を位置づけるのを止めなかった。 Lacan n'a jamais manqué de souligner le lien de la répétition à l'objet comme objet perdu (…) Il n'a pas cessé de situer la répétition comme un effort pour retrouver l'objet foncièrement perdu. (J.-A. Miller, « Transfert, répétition et réel sexuel.» 2010) |
⑥超自我なる死の欲動 |
死の欲動は超自我の欲動である[la pulsion de mort ... c'est la pulsion du surmoi] (J.-A. Miller, Biologie lacanienne, 2000) |
ラカンは超自我は去勢と相関関係があるとした。 |
超自我を除いて、何ものも人を享楽へと強制しない。超自我は享楽の命令である,「享楽せよ!」と。Rien ne force personne à jouir, sauf le surmoi. Le surmoi c'est l'impératif de la jouissance : « jouis ! »,〔・・・〕「享楽せよ!」と命令する超自我は、去勢と相関関係がある。それは、大他者の享楽、他者の身体の享楽の徴だ。le surmoi, … du « jouis ! », corrélat de la castration qui est le signe …que la jouissance de l'Autre, du corps de l'autre, (Lacan, S20, 21 Novembre 1972 ) |
②③④で示したように、去勢すなわちトラウマ的母の喪失である。 |
フロイトは死の不安と去勢不安を並置しつつ、保護的超自我に見捨てられる不安とした。 |
死の不安[Todesangst]は、去勢不安[Kastrationsangst]の類似物として理解されるべきである。自我が反応するその状況は、保護的超自我ーー運命の力ーーに見捨てられること[das Verlassensein vom schützenden Über-Ich – den Schicksalsmächten]であり、危険に対するすべての保障が消滅してしまうことである。 die Todesangst als Analogon der Kastrationsangst aufzufassen ist und daß die Situation, auf welche das Ich reagiert, das Verlassensein vom schützenden Über-Ich – den Schicksalsmächten – ist, womit die Sicherung gegen alle Gefahren ein Ende hat. (フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年) |
この超自我は母である。 |
心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく想定される。Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年) |
ーー高等動物にもある幼児の依存[kindlicher Abhängigkeit]はもちろん《母への依存性[Mutterabhängigkeit]》(フロイト『女性の性愛 』第1章、1931年)である。 |
これ自体、ラカンは既にセミネール5の段階で言っている。 |
母なる超自我は原超自我である[le surmoi maternel… est le surmoi primordial ]〔・・・〕母なる超自我に属する全ては、この母への依存の周りに表現される[c'est bien autour de ce quelque chose qui s'appelle dépendance que tout ce qui est du surmoi maternel s'articule](Lacan, S5, 02 Juillet 1958、摘要) |
つまり死の不安とは母なる超自我に見捨てられる不安にほかならない。 |
そしてこの不安とは不快であり、欲動である、 |
不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年) |
欲動過程による不快[die Unlust, die durch den Triebvorgang](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
したがって事実上、母なる超自我に見捨てられる死の不安は死の欲動である。 そしてこの不快なる不安こそ、トラウマ=喪失=去勢なのである。 |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…) die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
去勢、すなわち喪失[Kastration, d. h. als Verlust](フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註) |
ラカンが《不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ]》(Lacan, S17, 11 Février 1970)と言っているのは、この母なる超自我に見捨てられる死の不安=死の欲動にほかならない。 |
そして原不安こそ出産外傷としての原トラウマ=母への原固着である。 |
不安は対象の喪失への反応として現れる。…最も根源的不安(出生時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, […] daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand.](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
出産外傷、つまり出生行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。 Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要) |
フロイトにとってこの原固着が究極の欲動の対象なのである。 |
欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。 Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. (…) Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト『欲動とその運命』1915年) |
発育の過程で、いくつかの固着が置き残されることがあり、その一つ一つが連続して、押しやられていたリビドーの侵入を許すことがあるーーおそらく、後に獲得した固着から始まり、病気の展開とともに、出発点に近いところにある原初の固着へと続いていく。Es können ja in der Entwicklung mehrere Fixierungen zurückgelassen worden sein und der Reihe nach den Durchbruch der abgedrängten Libido gestatten, etwa die später erworbene zuerst und im weiteren Verlaufe der Krankheit dann die ursprüngliche, dem Ausgangspunkt näher liegende.(フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年) |
ラカンの死の欲動としての現実界ーー《現実界の享楽[Jouissance du réel]》(Lacan, S23, 10 Février 1976)ーーが固着のトラウマであるのはこの観点からも納得しうる。 |
死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel …c'est la mort, dont c'est le fondement de Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976) |
現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964) |
固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
ーー《享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation (…) on y revient toujours.]》 (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)