2022年9月10日土曜日

解離防衛抑圧排除固着


◼️抑圧と解離


フロイトの抑圧[Verdrängung]は誤訳である。この語に「圧する」という意味はない。

日本では従来 Verdrängung は「抑圧」と訳されるが、ドイツ語の語感からは「抑圧」ではなしに「追放」とか「放逐」が正しく、「抑圧」はむしろUnterdrückung(かりに上では「抑制」と訳したところの)に当る訳語である。(フロイト『夢判断』下 高橋義孝訳註 新潮文庫 P379)

中井久夫)「抑圧」の原語 Verdrängung は水平的な「放逐、追放」であるという指摘があります。とすれば、これをrepression「抑圧」という垂直的な訳で普及させた英米のほうが問題かもしれません。もっとも、サリヴァンは20-30年代当時でも repression を否定し、一貫して神経症にも分裂病にも「解離」(dissociation)を使っています。(共同討議「トラウマと解離」斎藤環/中井久夫/浅田彰『批評空間』2001Ⅲー1)


「解離」という語も解離性人格障害等で「多重人格」のイメージがあるので現在では使いづらい語だが、フロイト自身、解離は抑圧だと言っている。


精神分析は、心的な解離[seelischen Dissoziation]の起源(ジャネもその重要性を認識していた)を、先天的な障害による心的統合の失敗ではなく、抑圧[Verdrängung]と呼ばれる特別な心的的プロセスに求めている。(フロイト『精神分析について』1913年)

ヒステリーの素因をもつ患者には、解離、つまり心的領域のつながりがばらばらになる傾向があり[Dissoziation –; zur Auflösung des Zusammenhanges im seelischen Geschehen –]、その結果、或る無意識の過程が意識にまで結びつかなくなる。(フロイト『精神分析的観点から見た心因性視覚障害』1910)




◼️抑圧と排除と防衛


ところで初期フロイトは抑圧を「防衛」と定義している。

「防衛」、つまり意識からの表象の抑圧 [ „Abwehr", der Verdrängung von Vorstellungen aus dem Bewusstsein] (フロイト『ヒステリー研究』序文, 1895年)


そしていっそう強い防衛を「排除」としている。


(一般の防衛よりも)はるかに強力でより巧くいく防衛がある。それは次の形で構成されている。すなわち自我は堪え難い表象をその情動とともに排除[verwirft]し、その表象が自我には全く接近しなかったかのように振る舞う。[Es gibt nun eine weit energischere und erfolgreichere Art der Abwehr, die darin besteht, daß das Ich die un-erträgliche Vorstellung mitsamt ihrem Affekt verwirft und sich so benimmt, als ob die Vorstellung nie an das Ich herangetreten wäre. ](フロイト『防衛-神経精神病 Die Abwehr-Neuropsychosen』1894年)


この排除[Verwerfung]という語をフロイトが最後に使ったのは、私の知る限りで、1918年、いや1920年である。


抑圧は排除とは別の何ものかである[Eine Verdrängung ist etwas anderes als eine Verwerfung. DER WOLF MAN ](フロイト『ある幼児期神経症の病歴より』(症例狼男)1918年)

排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)


この「排除された欲動」が、『症例シュレーバー』(1911年)に現れる次の二つの表現に相当する。


・原初に抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe

・原初に置き残された欲動[primär zurückgebliebenen Triebe


当時はエス概念がまだなかったがーーエス概念を初めて提出したのは1923年の『自我とエス』であるーー、上の表現は「エスに置き残された欲動」と言い換えうる。



フロイトは「排除」という語を1920年以降使用していないように見えるが、「抑圧」という語は最晩年まで一貫して使っている。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえるのである。

daß die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


この原抑圧が「排除」に相当し、後期抑圧が初期に示した「抑圧」である。抑圧も排除も両方とも防衛である。


私は後に(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)「防衛過程 Abwehrvorganges」概念のかわりに、「抑圧 Verdrängung」概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの「防衛Abwehr」という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。(フロイト『制止、症状、不安』最終章、1926 年)


最後のフロイトは抑圧を原防衛[primitive Abwehr]としているが、これは原抑圧[Urverdrängung]のことであり、最終的に抑圧とは原抑圧と等置され、付随的に通常の抑圧を後期抑圧[Nachverdrängung]というようになる。


抑圧はすべて早期幼児期に起こる[Alle Verdrängungen geschehen in früher Kindheit]。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段[primitive Abwehrmaßregeln]である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も欲動制御[Triebbeherrschung]のためにそれを利用しようとする。新しい葛藤は、われわれの言い表し方をもってすれば「後期抑圧 Nachverdrängung」によって解決される。

Alle Verdrängungen geschehen in früher Kindheit; es sind primitive Abwehrmaßregeln des unreifen, schwachen Ichs. In späteren Jahren werden keine neuen Verdrängungen vollzogen, aber die alten erhalten sich, und ihre Dienste werden vom Ich weiterhin zur Triebbeherrschung in Anspruch genommen. Neue Konflikte werden, wie wir es ausdrücken, durch »Nachverdrängung«erledigt. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第3章、1937 年)


要するに抑圧という語は解離あるいは防衛でよいのである。抑圧されたものの回帰ではなく「解離されたものの回帰」、「防衛されたものの回帰」である。




◼️原抑圧と固着


ところで抑圧の第一相、つまり原抑圧は固着である。

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ]〔・・・〕

この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen]〔・・・〕


抑圧されたものの回帰としての侵入は固着点から始まる[Wiederkehr des Verdrängten…Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー)1911年、摘要)


ここでの欲動の固着としての原抑圧された欲動が、先ほど示したように《原初に置き残された欲動[primär zurückgebliebenen Triebe]》に相当する。


この「置き残し」Zurückbleibenが原抑圧としての固着を把握するための核心用語のひとつである。

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者としての身体は原無意識としてエスに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


「エスに置き残された固着の残滓」=「異者としての身体」の別名は「エスの欲動蠢動」である。


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)


結局、原抑圧としての固着の残滓は、「エスに置き残された欲動の身体」と言い換えうる。


原抑圧されたものの回帰とは、「異者としての身体の回帰=欲動の身体の回帰」であり、別の言い方なら「固着の回帰」ーーより厳密にいえば「固着点への回帰」ーーである。