2022年9月17日土曜日

バーハウとミレールの症状形成図


 ポール・バーハウ Paul Verhaegheは1997年と2004年の著書で、症状形成図として次のように示している。


この二つの図は同じ意味である。S(Ⱥ)とS1ともフロイトの固着を示している。

ここでは簡潔に示されているジャック=アラン・ミレールの注釈を掲げる。

シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される[c'est sigma, le sigma du sinthome, …que écrire grand S de grand A barré comme sigma] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001)

サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

S2に付着したS1ではない単独的な一者のシニフィアン[le signifiant, et singulièrement le signifiant Un – …non pas le S1 attaché au S2 ]ーーS2なきS1[S1 sans S2]ーーこれが厳密にフロイトが固着と呼んだものである[précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要)


S(Ⱥ) ≡ サントーム ≡ 固着 ≡ S1(S2なきS1)である。


ただし先の図のȺとaの価値については注意しなければならない。左端のȺとaは主体の穴の意味である。右端にあるȺは欲望の大他者である。この二つについては前投稿でしめした。そして右側の(a)は穴埋めとしての剰余享楽である[参照]。

ところでジャック=アラン・ミレールは2006年に次の図を示している。



この三つもまとめれば、冒頭のポール・バーハウの図と基本的には同じである。


右項目がバーハウ図ではより詳細に記されているだけである。

……………


※補足

左側がȺ⇄S(Ⱥ)となっているのは次の意味である。


固着概念は、身体的要素と表象的要素の両方を含んでいる[the concept of "fixation" … it contains both a somatic and a representational element](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)

固着は一者と身体の結合である[Fixierung…c'est la conjonction de l'Un et du corps].(J.-A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN -  18/05/2011)

S(Ⱥ) はシニフィアンプラス穴である[S(Ⱥ) → S plus A barré. ] (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 7/06/2006)


穴とはトラウマの穴である。

身体は穴である[(le) corps…C'est un trou]》(Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


そしてこのトラウマのフロイトによる名は異者としての身体である。

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体[Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


前回示したようにȺ ≡ aであり、a は異者としての身体である。

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)


したがってバーハウは次のように記している。

原初の現実界の出発点は「異者としての身体[Fremdkörper]」として居残って効果をもったままである。これは、身体的な何ものかがどの症状の核にも現前しているということである。より一般的なフロイト理論用語では、いわゆる欲動の根[Triebwurzel]あるいは固着点である。ラカンに従って、われわれはこの固着点のポジションに対象aを置くことができる。

the original real starting point remains effective as a “foreign body.”… the fact that something of the body is present in the kernel of every symptom. In the more general terms of his theory, this is the so-called “root” of the drive or the point of fixation . Following Lacan, we can place the object (a) in this position. (Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders, 2004)


この異者が現実界の享楽である。

フロイトの異者は、置き残し、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

享楽は、残滓 (а)  による[la jouissance…par ce reste : (а)  ](Lacan, S10, 13 Mars 1963)

残滓…現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)


※リビドー固着の残滓 [Reste der Libidofixierung]

=異者としての身体[Fremdkörper]

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者身体は原無意識としてエスのなかに置き残されたままである[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


➡︎「主体は異者($ Fremdkörper