◼️フロイトの愛は、ラカンのナルシシズム・欲望・享楽である
フロイトの愛はラカンのナルシシズム、欲望、享楽の三つを包含した概念である。
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フロイトの愛(リーベ[Liebe])は、愛、欲望、享楽をひとつの語で示していることを理解しなければならない[il faut entendre le Liebe freudien, c’est-à-dire amour, désir et jouissance en un seul mot. ](J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999) |
ナルシシズムの相から来る愛以外は、どんな愛もない。愛はナルシシズムである[qu'il n'y a pas d'amour qui ne relève de cette dimension narcissique,… l'amour c'est le narcissisme ](Lacan, S15, 10 Janvier 1968) |
ナルシシズムは想像界の審級、欲望は象徴界の審級にある。 |
愛と欲望…これはナルシシズム的愛とアタッチメント的愛のあいだのフロイトの区別である[l'amour et le désir …la distinction freudienne entre l'amour narcissique et l'amour anaclitique]〔・・・〕 ナルシシズム的愛は自己への愛にかかわる。アタッチメント的愛は大他者への愛である。ナルシシズム的愛は想像界の軸にあり、アタッチメント的愛は象徴界の軸にある[l'amour narcissique concerne l'amour du même, tandis que l'amour anaclitique concerne l'amour de l'Autre. Si l'amour narcissique se place sur l'axe imaginaire, l'amour anaclitique se place sur l'axe symbolique ](J.-A. Miller「愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour」1992) |
ナルシシズム的愛は自己への愛、欲望は大他者への愛とあるが、これはフロイト用語では自己愛、対象愛である。
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理想自我は自己愛に適用される。ナルシシズムはこの新しい理想的自我に変位した外観を示す。[Idealich gilt nun die Selbstliebe, …Der Narzißmus erscheint auf dieses neue ideale Ich verschoben](フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年) |
アタッチメント型にのっとった完全な対象愛がある[Die volle Objektliebe nach dem Anlehnungstypus ist…](フロイト『ナルシシズム入門』第2章、1914年) |
◼️享楽は愛の固着である
他方、現実界の愛の審級にある享楽は固着、愛の固着である。
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享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009) |
初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年) |
フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance]. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000) |
他にも享楽を定義する種々の用語群があるが、最も簡潔には、現実界の愛は「愛の固着」の一語に収斂する。
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現実界は原因である。欲望としての対象愛もナルシシズムとしての自己愛もこの愛の固着(享楽の固着)に由来する。
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われわれが現実界という語を使うとき、この語の十全な固有の特徴は「現実界は原因である」となる[quand on se sert du mot réel, le trait distinctif de l'adéquation du mot : le réel est cause. ](J.-A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 26/1/2011) |
愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである[L'amour est donc toujours répétition, (…) Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour.] (David Halfon,「愛の迷宮Les labyrinthes de l'amour 」ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015) |
ーー《忘れないようにしよう、フロイトが明示した愛の条件のすべてを、愛の決定性のすべてを[N'oublions pas … FREUD articulables…toutes les Liebesbedingungen, toutes les déterminations de l'amour] 》(Lacan, S9, 21 Mars 1962)
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以下はいくらか難解になる。ここは一般の人は外して構わない。上を十全におさえて後に読む内容である。
◼️現実界の享楽はマゾヒズムであり、リビドーの固着である
| 先ほど享楽を定義する語は種々あるとしたが、例えば、ラカンは現実界の享楽はマゾヒズムだと言っている。 | 享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976) |
このマゾヒズムはフロイトにとってリビドーの固着に由来する。
| 無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇Anatomische Überschreitungen , 1905年) |
リビドーはフロイトの定義に置いて愛の欲動あるいは性欲動である。 | リビドー[Libido]は情動理論 [Affektivitätslehre]から得た言葉である。われわれは量的な大きさと見なされたーー今日なお測りがたいものであるがーーそのような欲動エネルギー [Energie solcher Triebe] をリビドーと呼んでいるが、それは愛[Liebe]と要約されるすべてのものに関係している。〔・・・〕 哲学者プラトンの「エロス」は、その由来や作用や性愛[Geschlechtsliebe]との関係の点で精神分析でいう愛の力[Liebeskraft]、すなわちリビドーと完全に一致している。〔・・・〕 この愛の欲動[Liebestriebe]を精神分析では、その主要特徴からみてまたその起源からみて性欲動[Sexualtriebe]と名づける。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年) |
したがってマゾヒズムとしての現実界の享楽は愛の固着ーー愛の欲動の固着ーーにかかわる。 | この固着は事実上、母への固着である。
| マゾヒズムの病理的ヴァージョンは、対象関係の前性器的欲動への過剰な固着を示している。それは母への固着である[le masochisme, …une version pathologique, qui, elle, renvoie à un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet. Elle est fixation sur la mère, ](エリック・ロランÉric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001) | おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年) |
ラカンが現実界はフロイトのモノーー母なるモノーーだと言っているのはこの意味である。 | フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976) | 母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16 Décembre 1959) |
モノは固着のことである。言語に同化不能の残滓、これが固着である。
| 同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) | 我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895) | 固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
この捉え方は晩年まで一貫している。 | 常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
このリビドー固着の残滓が、母へのエロス的固着の残滓である。
| 母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
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◼️享楽の対象は喪われた母への固着
| ラカンは享楽の対象は喪われたモノだとしている。 | 享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要) |
先ほど示したようにこのモノは母なるモノである。さらにこの喪われたモノの中心にあるのは母の身体であり、究極的には胎盤だとしている。
| モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20 Janvier 1960 ) | 例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象の象徴である[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. ](Lacan, S11, 20 Mai 1964) |
この喪われた享楽の対象としてのモノは、フロイトの次の表現に相当する。
| 母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) | 母の喪失(母を見失う)というトラウマ的状況 [Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter] 〔・・・〕この喪われた対象[vermißten (verlorenen) Objekts]への強烈な切望備給は、飽くことを知らず絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給と同じ経済論的条件を持つ[Die intensive, infolge ihrer Unstillbarkeit stets anwachsende Sehnsuchtsbesetzung des vermißten (verlorenen) Objekts schafft dieselben ökonomischen Bedingungen wie die Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) | 喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
フロイトにとって母への固着[Fixierung an die Mutter]とは事実上、母なる対象の喪失への固着[Fixierung an der Verlust des Mutterobjekts]であり、究極的には母胎への固着である。
| 出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう「原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。 Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要) |
母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]は母胎への固着[Fixierung an die Mutterleib]と言い換えうる。
| 人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…) eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年) |
これが原点にある欲動の姿であり、究極の欲動の対象である。
| 以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である「 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年) |
欲動の対象は固着であり、さらに人は原固着の対象へ退行してゆく。これがフロイトの欲動理論における思考である。
| 欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。 | Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. [...] Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト「欲動とその運命』1915年) | 発育の過程で、いくつかの固着が置き残されることがあり、その一つ一つが連続して、押しやられていたリビドーの侵入を許すことがあるーーおそらく、後に獲得した固着から始まり、疾病の展開とともに、出発点に近いところにある原初の固着へと続いていく。Es können ja in der Entwicklung mehrere Fixierungen zurückgelassen worden sein und der Reihe nach den Durchbruch der abgedrängten Libido gestatten, etwa die später erworbene zuerst und im weiteren Verlaufe der Krankheit dann die ursprüngliche, dem Ausgangspunkt näher liegende.(フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年) |
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なおもちろん固着のすべてが母への固着ではない。例えばフロイトはこう記している。
| (発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となりうる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』1905年) | 強い父への固着をもった少女の夢[Traum eines Mädchens mit starker Vaterfixierung,](フロイト『夢解釈の理論と実践についての見解』1923年) |
事故による外傷的出来事への固着もある。
| 外傷神経症は、外傷的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している[Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. ] これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況を反復する[In ihren Träumen wiederholen diese Kranken regelmäßig die traumatische Situation ](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年) |
あるいは自己身体への固着もある。
| 自体性愛(自己身体愛)から対象愛への発展において、ある点に固着されたままのものがあり、それは自体性愛に近似する[Sie sind in der Entwicklung vom Autoerotismus zur Objektliebe an einer Stelle, dem Autoerotismus näher, fixiert geblieben. ](フロイト『症例ハンス』第3章、1909年) |
これだけでなく種々の固着があるが、最初期にあるのは乳幼児の身体の世話に伴う母への固着であり、究極的には母胎への固着である。
フロイトにとって母とは母胎の代理である。
| 心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation. ](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
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