2022年9月10日土曜日

男なるものは存在しない


◼️原抑圧は女なるものの排除のこと


本源的に抑圧されている要素は、常に女なるものではないかと想定される[Die Vermutung geht dahin, daß das eigentlich verdrängte Element stets das Weibliche ist ](フロイト, Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)


このフリース宛書簡の文は、ラカンにおいて次の文に相当する。

女なるものは、その本質において、女にとっても抑圧されている。男にとって女が抑圧されているのと同じように[La Femme dans son essence,  …elle est tout aussi refoulée pour la femme que pour l'homme](Lacan, S16, 12 Mars 1969)


ーーここでラカンは「抑圧」と言っているが、「排除」のことである。

私が排除[forclusion]について、その象徴的関係の或る効果を正しく示すなら、〔・・・〕象徴界において抑圧されたもの全ては現実界のなかに再び現れる。というのは、まさに享楽は全き現実界的なものだから[Si j'ai parlé de forclusion à juste titre pour désigner certains effets de la relation symbolique,…tout ce qui est refoulé dans le symbolique reparaît dans le réel, c'est bien en ça que la jouissance est tout à fait réelle. ](Lacan, S16, 14 Mai 1969)


排除とはもちろん原抑圧である。

原抑圧は排除である[refoulement originaire…à savoir la forclusion. ](J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE COURS DU 3 JUIN 1987)

原抑圧の名は排除と呼ばれる。女なるものの排除である[le nom du refoulement primordial…s'appelle la forclusion, la forclusion de la femme](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008、摘要)


ーーここでの排除は父の名の排除とは異なるので注意(参照)。

父の名の排除から来る排除以外の別の排除がある[il y avait d'autres forclusions que celle qui résulte de la forclusion du Nom-du-Père. ](Lacan, S23、16 Mars 1976)


さて、この女なるものの排除としての原抑圧の別の言い方は、「現実界に置き残す」(エスに置き残す)である。

原抑圧は「現実界のなかに女なるものを置き残すこと」として理解されうる[Primary repression can …be understood as the leaving behind of The Woman in the Real.](PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1999)

ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。[The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)


フロイトにおいて次の三つの表現は等価である。

原初に抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe] (フロイト「症例シュレーバー」1911年)

原初に置き残された欲動[primär zurückgebliebenen Triebe] (フロイト「症例シュレーバー」1911年)

排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)


後期ラカンは原抑圧について次のように言っている。

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。穴は原抑圧と関係する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou.…La relation de cet Urverdrängt](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975、摘要)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


ここでの穴はトラウマである。

現実界は穴=トラウマをなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


つまり欲動の現実界は原抑圧のトラウマの機能にある、

このトラウマをフロイトは異者もしくは異者としての身体(「異物」とも訳されてきた)とした。

固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)


この原抑圧あるいは固着の異者が、エスに置き残される異者である。

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

異者としての身体は原無意識としてエスに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


そしてこのエスに置き残された異者の別名が「女」である。

女は男とは異なり、永遠に不可解な、神秘的で、異者のようなものである[das Weib anders ist als der Mann, ewig unverständlich und geheimnisvoll, fremdartig] (フロイト『処女性のタブー』1918年)

言わざるを得ない、ひとりの女は不可解な、異者だと[une femme, il faut le dire, c'est une bizarrerie, c'est une étrangeté.]  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)


ラカンが「ひとりの女」と言っているのは象徴界(言語秩序)には存在しないが、現実界にはいる「女たち」という意味である。


女なるものは存在しない。女たちはいる[La femme n'existe pas. Il y des femmes, mais La femme, c'est un rêve de l'homme](Lacan, Conférence à Genève sur le symptôme, 1975)


このラカンの命題自体、フロイトは既に言っている、《男性性は存在するが、女性性は存在しない[gibt es zwar ein männlich, aber kein weiblich]》と。


「幼児期の性器的編成」の主要な特性は、最終的な成人の性器的編成とは相違がある。それは次の事実において構成されている。つまり両性にとって、ひとつの性器、つまり男性の性器しかないことが重要な役割をもつ。したがって、ここに現れているものは、性器の優位ではなく、(徴としての)ファルスの優位である。〔・・・〕男性性は存在するが、女性性は存在しないのである。

Der Hauptcharakter dieser » infantilen Genitalorganisation« ist zugleich ihr Unterschied von der endgültigen Genitalorganisation der Erwachsenen. Er liegt darin, daß für beide Geschlechter nur ein Genitale, das männliche, eine Rolle spielt. Es besteht also nicht ein Genitalprimat, sondern ein Primat des Phallus. 〔・・・〕gibt es zwar ein männlich, aber kein weiblich。(フロイト『幼児期の性器的編成(性理論に関する追加)』1923年)





◼️男なるものは存在しない


後期ラカンの核心は女なるものは存在しないではない、いま見たようにそれはフロイトが既に言っている。むしろ男なるものは存在しないである。

女なるものは存在しない。同様に、男なるものも存在しない[The Woman does not exist, neither does The Man. ](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL、1995年)

はっきりしているのは、男なるものは存在しないことである[il est clair que L’homme n’existe pas.](マリー=エレーヌ・ブルースMarie-Hélène Brousse, Le trou noir de la dif­fé­rence sexuelle, 2019)


「女なるものは存在しない」とは何よりもまず女にはファルスがないという意味である。

女性のシニフィアンの排除がある。これが、ラカンの「女なるものは存在しない」の意味である。この意味は、我々が持っているシニフィアンは、ファルスだけだということである[il y a une forclusion de signifiant de La femme. C'est ce que veut dire le “La femme n'existe pas”. Ça veut dire que le seul signifiant que nous ayons, c'est le phallus]. (J.-A. Miller, Du symptôme au fantasme et retour, Cours du 27 avril 1983)


女にはソーセージはなく蝦蟇口しかない。

彼女は三歳と四歳とのあいだである。子守女が彼女と、十一ヶ月年下の弟と、この姉弟のちょうど中ごろのいとことの三人を、散歩に出かける用意のために便所に連れてゆく。彼女は最年長者として普通の便器に腰かけ、あとのふたりは壺で用を足す。彼女はいとこにたずねる、「あんたも蝦蟇口を持っているの? ヴァルターはソーセージよ。あたしは蝦蟇口なのよ [Hast du auch ein Portemonnaie? Der Waller hat ein Würstchen, ich hab' ein Portemonnaie]」いとこが答える、「ええ、あたしも蝦蟇口よ[Ja, ich hab' auch ein Portemonnaie]」子守女はこれを笑いながらきいていて、このやりとりを奥様に申上げる、母は、そんなこといってはいけないと厳しく叱った。(フロイト『夢解釈』第6章、1900年)


ところでラカンはファルスの意味作用ーーフロイトの《象徴的意味作用[symbolische Bedeutung]》(1926)ーーを形式化して言語とした。

ファルスの意味作用とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない。Die Bedeutung des Phallus  est en réalité un pléonasme :  il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus.  (ラカン, S18, 09 Juin 1971)

象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978)


ーー象徴界とは言語秩序=ファルス秩序なのである。


そしてさらに、《言語は存在しない[ le langage, ça n'existe pas]》(ラカン, S25, 15 Novembre 1977)と言った。この意味は言語は見せかけに過ぎないということである。


見せかけはシニフィアン自体のことである! [Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même ! ](Lacan, S18, 13 Janvier 1971)


とすれば、ファルスは存在しない、見せかけに過ぎない。つまり「男なるものは存在しない」のである。

「女なるものは存在しない」という命題は、「女たちの世界はない」と翻訳される。これは女たちには固有の徴(ファルスの徴)がないという事実による。…しかし単独性は十全にある。これは「女たちはいる」を意味する。男たちは固有性を持っている。女たちは単独性を持っている。La thèse «La femme n'existe pas » se traduit par, « il n'y a pas d'universel des femmes », et par là même le trait du particulier ne leur est pas, au moins d'origine, attribué, mais bien la singularité. C'est le sens de « il y a des femmes ». Les hommes auront le particulier, les femmes auront le singulier.  (J.-A. Miller, Le lieu et le lien, 7 mars 2001)


男なるものが存在するなら、ファルスの詐欺師としてのみ存在する。


女性性の普遍的概念が欠けている[manquant d'un concept universel de la féminité]。 女たちは女が何であるか知らない[elles ne savent pas qui elles sont]。〔・・・〕しかし女たちは自分が知らないことを知っている[elles savent qu'elles ne savent pas]。他方、男は知っている。男は男であることが何であるかを信じている[Tandis que les hommes savent, croient savoir ce que c'est qu'être un homme]。そしてこの知は唯一、「詐欺師の審級 le registre de l'imposture」において得られる。(Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008) 


ファルスの詐欺師とはファルスの嘘と言ってもよい、《象徴界は厳密に嘘である[le symbolique, précisément c'est le mensonge.]》(J.-A. MILLER, Le Reel Dans L'expérience Psychanalytique. 2/12/98)



以上、後期ラカンの「存在しない」をめぐる真の核心は、「女なるものは存在しない」ではなく「男なるものは存在しない」である。


実はこれもラカンの若い友人だったソレルスが既に言っていることである。


世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …

Le monde appartient aux femmes, il n'y a que des femmes, et depuis toujours elles le savent et elles ne le savent pas, elles ne peuvent pas le savoir vraiment, elles le sentent, elles le pressentent, ça s'organise comme ça. Les hommes? Écume, faux dirigeants, faux prêtres, penseurs approximatifs, insectes... Gestionnaires abusés... Muscles trompeurs, énergie substituée, déléguée...(ソレルス『女たち』原著1983年、鈴木創士訳)