2022年9月25日日曜日

口唇期[orale Phase]以前の母胎期[Mutterleib Phase]

 


◼️フロイトの発達段階論


フロイトの発達段階論の基盤は次の区分である。


口唇期 orale Phase (1歳)

肛門期 anale Phase(1歳から3歳)

ファルス期 phallische Phase(3歳から5歳)

潜伏期 Latenzphase(6歳から11歳)

性器期 genitale Phase(12歳以降)



ファルス期[phallische Phase]とはエディプス期[ödipalen Phase]である。


ファルス期はエディプスコンプレクス期と同時期である[Diese phallische Phase, gleichzeitig die des Ödipuskomplexes ](フロイト『エディプスコンプレクスの崩壊』1924年)

※なおエディプスコンプレクス期の意味合いについては➡︎[参照]。



潜伏期[Latenzphase]については次のように説明されている。


人生の中で「性的潜伏期」と呼ばれる期間、すなわち5年目の到達から思春期の最初の現れ(約11年目)までの間に、恥、嫌悪、道徳などの反応形成物、あるいは対抗勢力が心の中に作り出される。これらは、性感領域からの興奮を犠牲にして実際に形成され、後の性欲動の活動に対抗するためにダムのように立ち上がる。

Um die Lebenszeit, welche als »sexuelle Latenzperiode« bezeichnet werden darf, vom vollendeten fünften Jahre bis zu den ersten Äußerungen der Pubertät (ums elfte Jahr), werden sogar auf Kosten dieser von erogenen Zonen gelieferten Erregungen im Seelenleben Reaktionsbildungen, Gegenmächte, geschaffen wie Scham, Ekel und Moral, die sich gleichwie Dämme der späteren Betätigung der Sexualtriebe entgegensetzen.   (フロイト『性格と肛門愛 (Charakter und Analerotik)』 1908年)




口唇期[orale Phase]と肛門期[anale Phase]は前性器期[prägenitalen Phasen]とも呼ばれる(ファルス期も含む観点もあるがここでは除外する)。


前性器期[prägenitalen Phasen]の第一段階は、私たちには口唇期[orale]として知られている。なぜなら、腕に抱かれた乳児が栄養を与えられる方法と一致し、性感口唇領域[erogene Mundzone]が、その時期の性活動[sexuelle Tätigkeit]と呼ばれるものを支配しているからである。第二段階として、サディスティックで肛門的な衝動[sadistischen und die analen Impulse]が前面に出てくるが、これは間違いなく歯の出現、筋肉装置の強化、括約筋の機能の制御と関連している。私たちは、この顕著な発達段階について、特に多くの興味深い詳細を学んできた。第三に、ファルス期[phallische Phase]が到来し、男女ともに男性器[bei beiden Geschlechtern das männliche Glied](女児ではクリトリス)が、もはや見過ごすことのできない重要性を帯びてくる。私たちは、思春期[Pubertät]以降に確立される決定的な性組織[Sexualorganisation]のために、性器期[genitalen Phase]という名前をとっておいた。その段階で、女性の性器は初めて、男性の性器がはるか以前に獲得した認知と出会う[in der erst das weibliche Genitale die Anerkennung findet, die das männliche längst erworben hatte. ](フロイト『新精神分析入門』第32講、1933年)



フロイトはファルス期において、《小さな女の子は小さな男の子である[kleine Mädchen sei ein kleiner Mann]》とし、ペニスとクリトリスを等置していることを付け加えておこう。


ファルス期[phallische Phase」に入ると、男女の違いは完全に後退し、類似性が高まる。今、私たちは、小さな女の子は小さな男の子である[kleine Mädchen sei ein kleiner Mann]ことを認めなければならない。よく知られているように、この段階では、少年は自分の小さなペニスから快感を得る方法を知っており[seinem kleinen Penis lustvolle Sensationen zu verschaffen weiß]、その興奮状態を性交の表象[Vorstellungen von sexuellem Verkehr]と結びつけるという事実によって区別される。少女はさらに小さなクリトリスで同じことをする[Das nämliche tut das Mädchen mit ihrer noch kleineren Klitoris]。彼女のオナニー行為はすべてこのペニスに相当する部分で行われているようで、実際の女性のヴァギナは男女ともにまだ未発見のようである[Es scheint, daß sich bei ihr alle onanistischen Akte an diesem Penisäquivalent abspielen, daß die eigentliche weibliche Vagina noch für beide Geschlechter unentdeckt ist. ](フロイト『新精神分析入門』第32講、1933年)



◼️口唇期の固着[Fixierung der oralen Phase](母の乳房への固着[Fixierung an die Mutterbrust])


フロイトは同じ『新精神分析入門』32講で、口唇期の固着[Fixierung der oralen Phase]、肛門期の固着[Fixierung der analen Phase]を語っている。


最初期の口唇期[die erste orale Phase]。この第一段階では、問題になっているのは口唇的な取り入れ[orale Einverleibung]だけで、母の乳房の対象[Objekt der Mutterbrust]との関係には両価性はまったくない。噛みつき行為の出現によって特徴づけられる第二段階は、口唇サディスティック[oralsadistische]と表現することができる。この段階で初めて両価性の現象が現れ、その後、次のサディスティック肛門期[sadistisch-analen Phase]において非常に明確になる。これらの新しい区別の価値は、強迫神経症やメランコリーのような特定の神経症の場合に、リビドーの発達における気質のポイントを探す場合に、特によく見られる。ここで、リビドー固着、気質、退行[Libidofixierung, Disposition und Regression]のあいだの関連について学んだことを思い起こす必要がある。(フロイト『新精神分析入門』第32講、1933年)



これは1905年の『性理論』の記述とともに読むことができる。


(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となりうる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』1905年)



口唇期の固着は、先のフロイトの記述から母の乳房への固着[Fixierung an die Mutterbrust]に相当し、これは前期ラカンの次の発言とともに読むことができる。


母の乳房の、いわゆる原イマーゴの周りに最初の固着が形成される[sur l'imago dite primordiale du sein maternel, par rapport à quoi vont se former りゃくses premières fixations] (Lacan, S4, 12 Décembre 1956)



ところで、フロイトは1933年の先の講義の発言に引き続いて、発達段階の考え方は若干変わったと述べている。

リビドー組織の段階に対するわれわれの考え方は、一般的に少し変化している。以前は、それぞれの段階が次の段階に移ることを何よりも強調していたのだが、今は、初期の各段階がいかに後の段階の形成と並行して、その背後に居残り、リビドー経済や人の性格に永久的な表象を獲得するか[wieviel von jeder früheren Phase neben und hinter den späteren Gestaltungen erhalten bleibt und sich eine dauernde Vertretung im Libidohaushalt und im Charakter der Person erwirbt]を示す事実に注意を払う必要がある。さらに重要なことは、病的な条件下でいかに頻繁に初期段階への退行が起こるか、またある種の退行はある種の疾病に特徴的であることを教えてくれた研究である。(フロイト『新精神分析入門』第32講、1933年)


これは最初期の固着は次の段階への移行が充分になされず、人格形成に影響をもったままということであり、次の文に相当する。



常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)


この残滓=置き残しは、エスへの置き残しであり、異者としての身体[Fremdkörper]ーー「異物」とも訳されてきたーーと呼ばれる。

異者としての身体は原無意識としてエスのなかに置き残されたままである[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)



この残滓としての異者身体がラカンの現実界(現実界の享楽)であり、母の身体である。

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)

フロイトの異者は、置き残し、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963)



現実界の享楽=固着=エスへの置き残し=残滓=異者=モノである。


享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)

残滓…現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)

フロイトのモノ、これが後にラカンにとって享楽となる[das Ding –, qui sera plus tard pour lui la jouissance]。…フロイトのエス、欲動の無意識。事実上、この享楽がモノである。[ça freudien, l'inconscient de la pulsion. En fait, cette jouissance, la Chose](J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)




◼️口唇期[orale Phase]以前の母胎期[Mutterleib Phase]


ところでフロイトは最終的に口唇期の固着以前の固着を示し、それを出産外傷における母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter]とした。


出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう「原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)



この母への原固着は母胎への固着[Fixierung an die Mutterleib]と言い換えうる。


人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)



この意味で、フロイトは事実上、口唇期以前の母胎期[Mutterleib Phase]ーーあるいは子宮内生活期[Intrauterinleben Phase]ーーを示している(これは論理的にも当然そうあるべきであろう)。


不安は乳児の心的な寄る辺なさの産物である。この心的寄る辺なさは乳児の生物学的な寄る辺なさの自然な相同物である。die Angst als Produkt der psychischen Hilflosigkeit des Säuglings, welche das selbstverständliche Gegenstück seiner biologischen Hilflosigkeit ist. 


出産不安も乳児の不安も、ともに母からの分離を条件とするという、顕著な一致点については、なんら心理学的な解釈を要しない。Das auffällige Zusammentreffen, daß sowohl die Geburtsangst wie die Säuglingsangst die Bedingung der Trennung von der Mutter anerkennt, bedarf keiner psychologischen Deutung;

これは生物学的にきわめて簡単に説明しうる。すなわち母自身の身体器官が、原初に胎児の要求のすべてを満たしたように、出生後も、部分的に他の手段でこれを継続するという事実である。es erklärt sich biologisch einfach genug aus der Tatsache, daß die Mutter, die zuerst alle Bedürfnisse des Fötus durch die Einrichtungen ihres Leibes beschwichtigt hatte, dieselbe Funktion zum Teil mit anderen Mitteln auch nach der Geburt fortsetzt. 


出産行為をはっきりした切れ目と考えるよりも、子宮内生活と原幼児期のあいだには連続性があると考えるべきである。Intrauterinleben und erste Kindheit sind weit mehr ein Kontinuum, als uns die auffällige Caesur des Geburtsaktes glauben läßt

心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている。忘れてはならないことは、子宮内生活では母はけっして対象にならなかったし、その頃は、いったい対象なるものもなかったことである。

Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation. Wir dürfen darum nicht vergessen, daß im Intrauterinleben die Mutter kein Objekt war und daß es damals keine Objekte gab.    (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)



母胎期も含めて、フロイトの発達段階の区分を整理すれば次のようになる。





なおラカンの享楽の原像は子宮内生活としうる、《子宮内生活は、まったき享楽の原像である[La vie intra-utérine est l'archétype de la jouissance parfaite. ] (Pierre Dessuant, Le narcissisme primaire, 2007)



※参考


発育の過程で、いくつかの固着が置き残されることがあり、その一つ一つが連続して、押しやられていたリビドーの侵入を許すことがあるーーおそらく、後に獲得した固着から始まり、病気の展開とともに、出発点に近いところにある原初の固着へと続いていく。Es können ja in der Entwicklung mehrere Fixierungen zurückgelassen worden sein und der Reihe nach den Durchbruch der abgedrängten Libido gestatten, etwa die später erworbene zuerst und im weiteren Verlaufe der Krankheit dann die ursprüngliche, dem Ausgangspunkt näher liegende.(フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)


欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。

Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. [...] Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト「欲動とその運命』1915年)