2022年9月13日火曜日

戦争についての観察(中井久夫)

 


戦争こそ、明確な言語化やイメージ化を経由せずに行動化される最たるものである。四年三ヶ月にわたって不毛な会戦を反復し、ヨーロッパに回復不能の打撃を与えた第一次大戦は、双方とも一ヶ月で終わると思って始まった。日中戦争は南京陥落で終結するはずだった。


 見通しだけではない。近代の開戦理由を枚挙してみても、それが必要充分な理由であったことはかつてないのではないか。「なぜ、それが戦争になるのか」という反問に耐えないものばかりであると私は思う。不確実で、より小さな不利益の可能性のために、確実でより大きな損害を招く行為である。これは多くの犯罪と軌を一にしている。


 戦争への引き返し不能点は具体的に感覚できるものである。太平洋戦争の始まる直前の重苦しさを私はまざまざと記憶しており、「もういっそ始まってほしい。今の状態には耐えられない。蛇の生殺しである」という感覚を私の周囲の多くの人が持っていた。辰野隆のような仏文学者が開戦直後に「一言でいえばざまあみろということであります」と言ったのは、この感覚からの解放感である。この辺りの変化は猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』によく描かれている。東条英機首相も、昭和天皇も、この重圧によって開戦へと流されていった。東条の神経衰弱状態は、開戦と同時に、軽躁状態に急変する。天皇を初めとする大多数の国民もまた。


 ある患者は、幻覚妄想のある時期とない時期とを往復していたが、幻覚妄想のある時期はなるほど苦しいけれども、幻覚妄想がいつ起こるか、いつ始まるかという不安だけはないと言った。逆にない時期にはその不安から逃れられないという。平和の時期と戦争の時期との違いにも少し似ている。


 私は戦争直前の重圧感を「マルス感覚」と呼んだことがある。湾岸戦争直前、私はテレビを見ていて、太平洋戦争直前に似た「マルス感覚」を起こしている自分に驚いた。「ああ、あの時の感じだ」と私は思った。フランスの哲学者ベルクソンは第一次大戦の知らせを聞いて、「部屋の中に目にみえない重苦しいものが入ってきていすわった」と感じたそうである。これをも「マルス感覚」とすれば先の「事前的マルス感覚」に対して「事後的マルス感覚」となろうか。私は二〇〇一年九月十一日以後、アフガニスタン戦争の期間を通じて、「事後的マルス感覚」をしたたかに味わった。


 戦争へと「踏み越える」際の「引き返し不能点」は政治的よりも心理的に決定されると私は思う。戦争は避けられないという無力感が世を覆うようになることである。この独特の無力感を引き起こすことこそ、戦争を起こしたい勢力がもっとも重視し努力するものである。それは「心理的引き返し不能点」を手前に引き寄せる試みである。その手段は多様で持続的なものでなければならない。宣伝だけでなく、動員をはじめ、種々のしめつけや言論統制である。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年『徴候・記憶・外傷』所収)




戦争への心理的準備は、国家が個人の生死を越えた存在であるという言説がどこからとなく 生まれるあたりから始まる。そして戦争の不可避性と自国の被害者性を強調するところへと 徐々に高まってゆく。実際は、後になってみれば不可避的どころか選択肢がいくつも見え、被害者性はせいぜいがお互い様なのである。しかし、そういう冷静な見方の多くは後知恵である。  

選択肢が他になく、一本道を不可避的に歩むしかないと信じるようになるのは民衆だけではない。指導者内部でも不可避論が主流を占めるようになってくる。一種の自家中毒、自己催眠である。1941年に開戦を聴いた識者のことばがいちように「きたるべきものがきた」であったことを思い出す。その遙か以前からすでに戦争の不可避性という宿命感覚は実に広く浸透していたのであった。極言すれば、一般に進むより引くほうが百倍も難しいという単純きわまることで開戦が決まるのかもしれない。日本は中国から撤兵を迫られて開戦に踏み切った。中国撤兵は現実には非常に困難であったろう。ゴルバチョフ・ソ連のアフガニスタン撤兵は改めて尊敬に値すると私は思う。(中井久夫「戦争と平和についての観察」2005年『樹をみつめて』所収)




民族国家とはフランス革命が発明したものである。まず民族という概念を発明して、国内では徴兵制による常備軍、税制による政府官僚制、司法制度による法の支配、国外には大使館、公使館、領事館をはりめぐらし、国際条約を承認し遵守し利用し、紛争解決の手段としての外交の延長としての戦争を行う。こういうものでないと国家として相手にしないぞという強制が二百年前に成立し、民族国家システムに加入するか、植民地として編入されるかという二者択一をイギリスをはじめとする西欧「列強」が迫ったのが、十九世紀の特徴である。 東地中海と東アジアの比較的周辺部にいた国家はまがりなりに民族国家を作ろうとした。ギリシャ、タイ、エチオピア、日本くらいだろうか。「鹿鳴館文化」などはいたいけな努力である。いっぽう、大清帝国、インド・ムガール帝国、オットマン・トルコなど、衰退する多民族帝国は非常に混乱した。民族国家の体裁を作っても、うまく機能しない。常備軍というものは単一民族の神話を必要とするのだろうか。結局、民族国家およびその植民地というシーツで世界はほぼ被われるのだが、「戦争の巣」となった部分は民族国家で被うのに成功しなかった部分であることがわかる。(中井久夫「1990年の世界を考える」1990年『精神科医がものを書くとき』所収)


私の冷戦の静止映像は、どちらもテレビ映像であるが、一つはキューバ危機である。あの時はほんとうに危なかったらしい。ホットラインはあの時の経験を生かして生まれた。 他に方法がなかったので、ソ連首相フルシチョフは米国が傍受していることを期待して和平意思をラジオ放送したのである。その結果の、キューバに向かうミサイルを積んだソ連の船がゆっくりと回頭して引き返す映像である。


もう一つは、アフガニスタンからソ連が撤兵する映像で、国境の橋を最後に司令官が渡ると、ゴルバチョフが迎えに出てがっしりと握手し抱擁する姿である。 冷戦が終わった。


これらはソ連の栄光の瞬間ではない。しかし、どちらの時も私は思った、 「すごい。これがわれわれの(つまり日本の)できなかったことだ」と。 昭和十六年の日本は、中国からの撤兵を米国に迫られて戦争を選んだのである。兵を引くことがいかに難しいかは軍人でなくても想像がつく。 昭和十六年の東条首相は「英霊に相すまぬ」 から撤兵できないといったが、要するに軍のコントロールができないということである。実際、暗殺や撤兵拒否などが起こったであろう。これに対してソ連軍の統制は完璧であった。 彼らの戦意が低かったからではない。戦意の低い軍隊はしばしば国内に向かっては「ごねる」のである。


冷戦の最終段階、せめてかなわぬまでも一矢報いようと、米国に向かって水爆ミサイルを放つことをソ連軍の誰もが考えなかった。敗戦時の日本なら危なかったのではないか 。そして、今ロシア軍人は国連軍の一部として黙々と輸送や警備に当たっている。敗戦後の日本で掃海に当たった旧軍人のように、何の栄誉をも当てにせずに殉職者を出しながら。(中井久夫「冷戦の終わりに思う」1992年『精神科医がものを書くとき』所収)



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■中井久夫「「踏み越え」について」2003年

「はじめに」


「踏み越え」transgression とは、あまり聞きなれない言葉かと思う。しかし、オクスフォード辞典(OED)によれば、15世紀から「法やルールの埒外に出る」という今の意味で、心理学よりも法学のほうで使われてきたようである。お馴染みの「リグレッション」(退行)「プログレッションン」(前進)と同系列の言葉であるが、「トランス」は「越えて向こうへ」という意味であるから「踏み越え」と訳しておく。私の意味では、広く思考や情動を実行に移すことである。知情意を行動化するということか。抽象的に言えば「パフォーマンスのモード」の切り替えと定義してよかろう。


その逆は「踏みとどまり」holding-on である。実行に移さないように衝動に耐えて踏みとどまることである。


今にはじまった問題ではないし、私が何らかの明快な答えを与えるわけではない。ただ、踏み越えは現在無視できない重要性を持っているのではないかという問題提起をしておきたい。21世紀になって個人から国家まで、葛藤の中で踏みこたえるよりも踏み越えるほうを選ぶ傾向が目立つ。テロとテロへの反撃という国家社会的政治水準から個人の非行まで、その例は枚挙に遑がない。さらに「踏み越え」がプラスの意味を持ってきた。「改革」「ビッグバン」「IT革命」である。これらは長期的には有効性が期待値より低いおそれがあるのだが、そのことは軽視されている。フランス、ロシアの二大革命の末路から人は多くを学ばない。ロシア革命を否定してフランス革命が無傷で済むだろうか。革命の血を血で洗う中からナポレオンが出てきて、革命を外征にかえた。どれだけのフランス人、欧州人が非命に倒れたか。私の精神的な師の一人、アンリ・エランベルジェ先生が「個々の戦争犯罪だけでなく戦争をも犯罪学の対象としなければならない」といわれるのももっともである。幸か不幸か私は戦争の世紀である二十世紀の一九三四年に生を享けた。当時、一九○四年から一九〇五年の日露戦争は「このあいだの戦争」であった。戦争参加者はまだ四十歳代から六十歳代だったのである。〔・・・〕


行動化の効用


事後的な言語化の意味と効用について述べたが、皮肉なことに、行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にして全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない。時代小説でも、言い争いの段階では話は果てしなく行きつ戻りつするが、いったん双方の剣が抜き放たれると別のモードに移る。すべては単純明快となる。行動には、能動感はもちろん、精神統一感、自己統一感、心身統一感、自己の単一感、唯一無二感がある。さらに、逆説的なことであるが、行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。時代小説を読んでも、このモードの変化とそれに伴うカタルシスは理解できる。読者、観客の場合は同一化である。ボクサーや球団やサッカーチームとの同一化が起こり、同じ効果をもたらすのは日常の体験である。この同一化の最中には日常の心配や葛藤は一時棚上げされる。その限りであるが精神衛生によいのである。


行動化は集団をも統一する。二〇〇一年九月十一日のWTCへのハイジャック旅客機突入の後、米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない。もっとも、だからといって十月七日以後のアフガニスタンへの介入が最善であるかどうかは別問題である。副作用ばかり多くて目的を果たしたとはとうてい言えない。しかし国内政治的には国論の排他的統一が起こった。「事件の二週間以内に口走ったことは忘れてくれ」とある実業家が語っていたくらいである。すなわち、アメリカはその能動性、統一性の維持のために一時別の「モード」に移行したのである。


DVにおいても、暴力は脳/精神の低い水準での統一感を取り戻してくれる。この統一感は、しかし、その時かぎりであり、それも始まりのときにもっとも高く、次第に減る。戦争の高揚感は一ヶ月で消える。暴力は、終えた後に自己評価向上がない。真の満足感がないのである。したがって、暴力は嗜癖化する。最初は思い余ってとか論戦に敗れてというそれなりの理由があっても、次第次第に些細な契機、ついにはいいがかりをつけてまでふるうようになる。また、同じ効果を得るために次第に大量の暴力を用いなければならなくなる。すなわち、同程度の統一感に達するための暴力量は無限に増大する。さらに、嗜癖にはこれでよいという上限がない。嗜癖は、睡眠欲や食欲・性欲と異なり、満たされれば自ずと止むという性質がなく、ますます渇きが増大する。


ちなみに、賭博も行動化への直行コースである。パチンコはイメージとも言語化とも全く無縁な領域への没入であるが、パチンコも通常の「スリル」追求型の賭博も、同じく、イメージにも言語化にも遠い。〔・・・〕


「踏み越えによる犯罪」


すべての犯罪が定義上「踏み越え」によるものであるとはいえ、最近の犯罪あるいは非行において、事故学的犯罪と対照的に、「踏み越え」の比重が非常に大きくなってきたという仮定のもとに考察を進める。


「踏み越え」をやさしくする条件を挙げてみよう。


(1)「踏み越え」に対する倫理的な障壁が低くなっていること。例えば、万引きに窃盗という認識、ひったくりに強盗という認識がなく、それに相当する倫理的障壁がない(逆に「立ち小便」に対する心理的障壁は五十年前にはない気に等しかったが、現在では高くなっている)。倫理的障壁はほとんど生理的であって、立ち小便は行おうとしてもなかなか尿が出ないのが普通である。強姦の際に勃起するのはごく一部の男性であろうと思えてならない。暴力をふるう時には勃起できないのが生理的に順当だからである。射精に至っては交感神経系優位性が副交感神経系優位性と急速に交代しなければならず、それが暴力行為の最中に起こるのは生理学的に理解しがたい。しかし、そういう男がありうるのは事実で、古典的な泥棒は侵入してまず排便したというが、それと似ていようか。


(2) 倫理には当然社会的側面もある。尊敬できる家族、先人、友人などが存在するか否かが大きい。家族などが例えば暴力などの侵犯への「踏み越え」を実演するなかで育つことは当然侵犯への敷居を低くする。また、自殺や離婚は、通常、踏み越えに思案を要するものの代表であるが、身近に自殺、離婚の例がある場合、行き詰まりの解決法として思いつきやすく選ばれる確率が高くなる。犯罪もまた同様。


(3) 問題解決への選択肢が少ないこと。イメージ化がうまくできないこと。無人島に行ったら何を持ってゆき、何をするかという「無人島物語」では、非行少年や家庭内暴力少年は思いつくものが少ない傾向があることを私は経験している。知的に普通と思われる少年なのに島ですると思いつくことが瑣末的なこと一つであった例がある。なお、私の経験では、箱庭で全くの模倣テーマ、たとえば「宝塚遊園地」を造るのは非行少年、特に嗜癖少年であった。これは極端例であるが、選択肢の少なさはかなり一般にいえるそうである(東京家裁主任調査官・藤川洋子による)。選択肢がわずかしかない人ほど、踏み越えが簡単であるはずである。手近な選択である嗜癖にもなりやすいだろう。


(4) 侵犯が見逃され、放置され、処罰されないこと。犯罪の最大の防止策は速やかな発見と検挙である。ニューヨークの地下鉄でも、わが国の大学でも、落書きをただちに消すことによって、落書きだけでなく、さまざまな侵犯の低下を見みている。


(5) 「踏み越え」を容易にする手段が卑近なところにあること。米国の殺人率の多さは銃規制がほとんど行われていないことによる。わが国の場合、実に卑近なことであるが、包丁が鋭利になったことがあると私は思う。 第二次大戦前の、拳銃による政治家暗殺も、ほとんどすべて銃ごと体当たりをすることによったものである。その伝統は包丁にそのまま継がれている。旧軍では、日本人はピストルの速距離射撃が下手といわれてきた。一九九五年の国松警察庁長官狙撃(四発全弾命中)は例外中の例外である。


(6)「踏み越え」を容易にする制度を経験すること。これは、多くの軍隊が行うところである。一般兵士の「発砲率」は国によらず十五ー二十パーセントと低かった。第二次大戦後、米陸軍は心理学的工夫によって朝鮮戦争において五十五パーセント、ベトナム戦争において実に九十五パーセントの発砲率を達成している。その副作用は、帰還兵が社会適応不可能となったことである。わが国では、会社、官庁における不正の黙認が挙げられようか。


わが国では、現在、当人の書面による承諾なくして事実上誰にでも生命保険をかけられるという制度的欠陥も、多くの踏み越えを容易にしている。


(7) 「踏み越え」を容易にするイデオロギーの存在。いわゆる大義が代表的なものであるが、必ずしも直接の踏み越えに関するものでなくてもよい。一般に二十世紀においては、マルロー、ヘミングウェイ、サン=テグジュベリら、「行動」を「思考」や「葛藤」よりも優位に置く作家の影響力が強くなり、登山、航海において不可能とされたことが次々に実現していった。ちなみにマルローの出世作『王道』は、カンボジャの文化遺産を盗みにゆく話である。


行動化は、自分に代ってやってくれる代理者によってもある程度満足される。サッカーや野球で選手やチームに同一化することによって、日常の心配や葛藤は棚上げにできる。この場合も含めて、行動化は、究極的に言語化・イメージ化できないものが多い。犯罪とは限らない。スポーツはもちろん、食や性でも言語を超えた部分がある。というか、言語、イメージを越えないと、何か欠けたものがあると感じられる。一般に言葉だけでは飢餓感が残る。謝罪の例がそれである。状況だけが言葉の不足感を救う。


(8) 行動をともにする仲間の存在。少年強盗の統計上の最近の増加には、集団でのひったくり、かつあげによる分が、相当に含まれている。一件七、八人ということが少なくない。


(9) ヴァーチャル・リアリティによる「踏み越え」の見聞と実体験。生まれた時すでにテレビが存在した世代の心理には、私の世代の心理と違う何かが感じられる。しかし、テレビは家族などの集団で見て対象化・客観化が可能である。テレビゲームを初めとするヴァーチャル・リアリティは孤独のなかで行われ、場の中に入り込み、かつ自分が不利な時にはリセットが可能である。


(10) 抑制されつづけてきた自己破壊衝動が「踏み越え」をやさしくする場合がある。「いい子」「努力家」は無理がかかっている場合が多い。ある学生は働いている母親の仕送りで生活していたが、ある時、パチンコをしていて止まらなくなり、そのうちに姿は見えないが声が聞こえた。「どんどんすってしまえ、すっからかんになったら楽になるぞ」。解離された自己破壊衝動の囁きである。また、四十年間、営々と努力して市でいちばんおいしいという評価を得るようになったヤキトリ屋さんがあった。主人はいつも白衣を着て暑い調理場に出て緊張した表情で陣頭指揮をしてあちこちに気配りをしていた。ある時、にわかに閉店した。野球賭博に店を賭けて、すべてを失ったとのことであった。私は、積木を高々と積んでから一気にガラガラと壊すのを快とする子ども時代の経験を思い合わせた。主人が店を賭けた瞬間はどうであったろうか。


(11) うかうかとでも、とにかく「やってしまった」という事実が、その後の踏み越えをぐっとやさしくすることは多いだろう。「どうせおいらは」というわけである。「濡れないうちは露をも避けるが、濡れてしまえば川の中にでもずかずか入ってゆく」という古くからの喩えは、非常に理解しやすい心理である。


(12) 自尊心の低さと弱さ。例えば、忍ぶ恋がストーカーになり下がる過程のどこかで、自尊心がぐっと低下する体験があるのではないか。もっとも、ストーカーには、現実の不可能を強引に擬似的可能にしようという点で、「現実の不可能を非現実の可能にする」という妄想と紙一重のところがある。


ストーカーに限らない。どういう人にせよ、プライドのない人間ほど始末におえない者はない。精神科医は、患者の自尊心を大切に守る必要がある。個々の病院によって大きな差があるが、精神科病院が自尊心を失う場になってはならないと思う。さまざまな矯正施設においても重要なことである。


(13)被害者がはっきりしない場合。収賄も、遠距離砲撃の場合も、これである。陸軍に比べて海軍がスマートに見えるのは殺戮が見えないからである。


変数は以上の悪魔の一ダース(十三) に尽きないであろう。また、今後、踏み越えをやさしくする条件が増加するおそれがあり、精神医学、心理学、犯罪学の大きな主題となってゆく可能性が少なくないと私は思う。〔・・・〕


踏み越えと踏みとどまりの非対称性


不幸と幸福、悪(規範の侵犯)と善、病いと健康、踏み越えと踏みとどまりとは相似形ではない。戦争、不幸、悪、病い、踏み越えは、強烈な輪郭とストーリーを持ち、印象を残し、個人史を変える行動化で、それ以前に戻ることは困難である。規範の侵犯でなくとも、性的体験、労働体験、結婚、産児、離婚などは、心理的にそれ以前に戻ることがほとんど不可能な重要な踏み越えであるといってよかろう。


これに対して、踏みとどまりは目にとまらない。平和、幸福、善(規範内の生活)、健康、踏み外さないでいることは、輪郭がはっきりせず、取り立てていうほどのことがない、いつまでという期限がないメインテナンスである。それは、いつ起こるかもしれない不幸、悪、病い、踏み越え(踏み外し)などに慢性的に脅かされている。緊張は続き、怒りの種は多く、腹の底から笑える体験は少ない。強力な味方は「心身の健康を目指し、維持する自然回復力」すなわち生命的なものであって、これは今後も決して侮れない力を持つであろうが、しかし、現在、充分認知され、尊重されているとはいえない。テレビの番組は、その反対物にみちみちている。そうでないものもあるが、その多くは印象が薄いか、わざとらしい。


日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。(聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及しているおそれがある。


四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったかもしれない。踏み越えは、通過儀式という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。


一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。


私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性は時に紙一重である。それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治ったような気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分の中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。


サリヴァンは、 前青春期体験を、これらすべてに括抗する人間的体験とした。今、前青春期は、あるとしても息も絶え絶えである。成人の幸福なパートナー体験もさまざまな形で脅かされている。わが国のこの半世紀においては、社会的上昇の努力が幸福と結びつくとされていたが、もとより、それは幻想であり、今は幻滅の時代である。行動化への踏み越えをどうするかが、今後ますます心理臨床を悩ます問題となりそうである。


ウィニコットは、子どもの憎たらしさに耐えて、将来報いられると思えるのを「ほどよく良い母親」とした。大平健によれば、今の「やさしさ」は「何もしないという思いやり」で、侵入されたくない気持ちと対になっている。子どもは「やさしい」ばかりでなく、すごい泣き声を挙げて侵入する「やさしくない」存在でもある。その時の顔はいかにも憎々しい。昔の子守歌にも「寝る子のかわいさ、起きて泣く子の面憎さ」とあるとおりである。ウィニコットは、それを否認せずにわが子を世話できる母親をよしとしているのだが、今、いかなる意味でも「将来報いられる」期待をいうことができるだろうか。


「自己コントロール」について


私たちは「踏み越え」への心理的傾斜に逆らって「踏みとどまる」ために、もっぱら「自己コントロール」を説く。もとより、「自己コントロール」の重要性はいくら強調してもしたりないぐらいである。しかし、私たちは、「自己コントロール」を容易にし、「自己コントロール」が自尊心を増進し、情緒的な満足感を満たし、周囲よりの好意的な眼差しを感じ、社会的評価の高まりを実感し、尊敬する人が「自己コントロール」の実践者であって、その人たちを含む多数派に自分が属することを確信し、また「自己コントロール」を失うことが利益を生まないことを実際に見聞きする必要がある。


自己抑制をしている人が嘲笑され、少数派として迫害され、美学的にダサイと自分も感じられるような家庭的・仲間的・社会的環境は、「自己コントロール」を維持するために内的・外的緊張を生むもので、長期的には「自己コントロール」は苦行となり、虚無感が忍び寄って、崩壊するであろう。戦争における残虐行為は、そういう時、呆れるほどやすやすと行われるのではないか。


もっとも、そういう場は、短期的には誰しも通過するものであって、その時には単なる「自己コントロール」では足りない。おそらく、それを包むゆとり、情緒的なゆるめ感、そして自分は独りではないという感覚、近くは信頼できる友情、広くは価値的なもの、個を越えた良性の権威へのつながりの感覚が必要であろう。これを可能にするものを、私たちは文化と呼ぶのではあるまいか。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年『徴候・記憶・外傷』所収)