2022年9月19日月曜日

集団心理の基本とファシズム

 

だれもがひとりひとりみるとかなり賢くものわかりがよい。だが一緒になるとたちまち馬鹿になってしまう。Jeder, sieht man ihn einzeln, ist leidlich klug und verständig; Sind sie in corpore, gleich wird euch ein Dummkopf daraus.(シラー『クセーニエン』ーーゲーテとの共著[Goethe und Schiller Xenien]1796年)


集団は怠惰で短視眼である。集団は、欲動を断念することを好まず、いくら道理を説いてもその必要性など納得するものではなく、かえって、たがいに嗾しかけあっては、したい放題をする。denn die Massen sind träge und einsichtslos, sie lieben den Triebverzicht nicht, sind durch Argumente nicht von dessen Unvermeidlichkeit zu überzeugen, und ihre Individuen bestärken einander im Gewährenlassen ihrer Zügellosigkeit. (フロイト『ある幻想の未来 Die Zukunft einer Illusion』第1章、1927年)


………………


◼️フロイトの『集団心理学と自我の分析』のエキス

①自我理想による同一化集団

原初的集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第8章、1921年)

※自我理想[Ichideals]=父の代理[Vaterersatz]





②憎悪対象による同一化

指導者や指導的理念が、いわゆるネガティヴの場合もあるだろう。特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的依存と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こしうる。Der Führer oder die führende Idee könnten auch sozusagen negativ werden; der Haß gegen eine bestimmte Person oder Institution könnte ebenso einigend wirken und ähnliche Gefühlsbindungen hervorrufen wie die positive Anhänglichkeit. (フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章)


③同一化による信者の共同体における残酷と不寛容

信者の共同体[Glaubensgemeinschaft]…そこにときに見られるのは他人に対する容赦ない敵意の衝動[rücksichtslose und feindselige Impulse gegen andere Personen]である。…宗教は、たとえそれが愛の宗教[Religion der Liebe ]と呼ばれようと、所属外の人たちには過酷で無情[hart und lieblos]なものである。


もともとどんな宗教でも、根本においては、それに所属するすべての人びとにとっては愛の宗教であるが、それに所属していない人たちには残酷で不寛容 [Grausamkeit und Intoleranz ]になりがちである。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)


※簡易図




④集団形成による批判力の喪失

集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。Die Masse ist außerordentlich beeinflußbar und leichtgläubig, sie ist kritiklos, (フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)

集団にはたらきかけようと思う者は、自分の論拠を論理的に組みたてる必要は毛頭ない。きわめて強烈なイメージをつかって描写し、誇張し、そしていつも同じことを繰り返せばよい。Wer auf sie wirken will, bedarf keiner logischen Abmessung seiner Argumente, er muß in den kräftigsten Bildern malen, übertreiben und immer das gleiche wiederholen.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)


⑤集団形成による情動興奮と思考制止

集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動は異常にたかまり、彼の知的活動[intellektuelle Leistung] はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な欲動制止が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理[Massenpsychologie]の根本事実である原集団における情動興奮と思考制止 [der Affektsteigerung und der Denkhemmung]という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年)




◼️信者の共同体における集団妄想

人間の宗教は集団妄想[Massenwahn]の一種と見做すべきである。言うまでもなく、妄想に囚われている人間はそれが妄想であることを認めない。Als solchen Massenwahn müssen wir auch die Religionen der Menschheit kennzeichnen. Den Wahn erkennt natürlich niemals, wer ihn selbst noch teilt. 〔・・・〕

宗教は選択と適応という作業を制限する。というのは、宗教は幸福の獲得と苦痛の防衛への道をすべての人間に平等に課すから。宗教のテクニックは、生の価値を下落させ、現実の世界の像を妄想によって歪曲することにある。宗教の前提にあるのは、知性への恫喝である。この犠牲を払って、つまり信者を心的幼児性の状態に余儀なく固着させ、彼らを集団妄想へと引き摺り込むことによって、宗教は多くの人間が個人的神経症に陥るのを防ぐことに成功する。

Die Religion beeinträchtigt dieses Spiel der Auswahl ud Anpassung, indem sie ihren Weg zum Glückserwerb und Leidensschutz allen in gleicher Weise aufdrängt. Ihre Technik besteht darin, den Wert des Lebens herabzudrücken und das Bild der realen Welt wahnhaft zu entstellen, was die Einschüchterung der Intelligenz zur Voraussetzung hat. Um diesen Preis, durch gewaltsame Fixierung eines psychischen Infantilismus und Einbeziehung in einen Massenwahn gelingt es der Religion, vielen Menschen die individuelle Neurose zu ersparen. (フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第2章, 1930年)



………………




◼️ラカン派における基本的捉え方

フロイトの集団心理学は、ヒトラー大躍進の序文である。人はみなこの種の虜になり、群衆[foule]と呼ばれるものが集団になっての捕獲[la prise en masse]、ゼリー状の捕獲になるのではないか?

FREUD …la psychologie collective…préfaçant la grande explosion hitlérienne…pour que chacun entre dans cette sorte de fascination qui permet la prise en masse, la prise en gelée de ce qu'on appelle une foule ?(ラカン, S8, 28 Juin 1961)


①自我理想[ I(A)]は象徴的同一化

ラカンの象徴的同一化のマテーム I(A)は、フロイトの『集団心理学』からの自我理想である[le mathème de l'identification symbolique de Lacan, I(A) …l'idéal du moi …à partir de la Massenpsychologie](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96)


②理想自我[i'(a)]は想像的同一化

理想自我[ i'(a) ]は、自我[i(a) ]を一連の同一化によって構成する機能である。Le  moi-Idéal [ i'(a) ]   est cette fonction par où le moi [i(a) ]est constitué  par la série des identifications (Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

理想自我との同一化は想像的同一化である[l'identification du moi idéal, c'est-à-dire l'identification comme imaginaire]. (J.-A.  MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 17 DECEMBRE 1986)


③自我理想は取り入れ、理想自我は投射

投射は想像界の機能であり、取り入れは象徴界に関係する機能である[La projection est fonction de l'imaginaire, tandis que l'introjection est en relation au symbolique.](J.-A. MILLER, Extimité II - 20 novembre 1985)


④自我理想は構成する同一化、理想自我は構成された同一化

「自我理想との同一化」と「理想自我との同一化」の相違は、「構成する同一化」と「構成された同一化」の相違である。Cette distinction de l'Idéal du moi et du moi idéal, en tant qu'elle distingue l'identification constituante et l'identification constituée,(J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 7 JANVIER 1987)

想像的同一化と象徴的同一化とのあいだの関係ーー理想自我Idealichと自我理想Ich-Idealとのあいだの関係ーーは、ジャック=アラン・ミレール によって「構成された同一化」と「構成する同一化」の差異とされる。


簡単に言えば、想像的同一化とは、われわれが自身にとって好ましいように見えるイメージへの、つまり「われわれがこうなりたいと思う」ようなイメージへの、同一化である。


象徴的同一化とは、そこからわれわれが見られているまさにその場所への同一化、そこから自分を見るとわれわれが自分にとって好ましく、「愛するに値するように見える」ような場所への、同一化である。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』1989年)






◼️カール・シュミットの民主主義と同一化

①民主主義における治者(支配者)と被治者(被支配者)との同一化

民主主義とは、治者と被治者と同一化、支配することと支配されることの同一化、命令することと従うことの同一化がある。Demokratie (...) ist Identität von Herrscher und Beherrschten, Regierenden und Regierten, Befehlenden und Gehorchenden(カール・シュミット『憲法論』1928年)


②民主主義とファシズム(独裁)

ボルシェヴィズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的であるが、しかし、必ずしも反民主主義的ではない。民主主義の歴史には多くの独裁制があった。Bolschewismus und Fascismus dagegen sind wie jede Diktatur zwar antiliberal, aber nicht notwendig antidemokratisch. In der Geschichte der Demokratie gibt es manche Diktaturen, (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版)

民主主義が独裁への決定的対立物ではまったくないのと同様、独裁は民主主義の決定的な対立物ではまったくない。Diktatur ist ebensowenig der entscheidende Gegensatz zu Demokratie wie Demokratie der zu Diktatur.“ (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1926年版)


④民主主義における異質な者(同質性を脅かす者)の排除・殲滅の機制

民主主義に属しているものは、必然的に、まず第ーには同質性であり、第二にはーー必要な場合には-ー異質なものの排除または殲滅である。[…]民主主義が政治上どのような力をふるうかは、それが異邦人や平等でない者、即ち同質性を脅かす者を排除したり、隔離したりすることができることのうちに示されている。Zur Demokratie gehört also notwendig erstens Homogenität und zweitens - nötigenfalls -die Ausscheidung oder Vernichtung des Heterogenen.[…]  Die politische Kraft einer Demokratie zeigt sich darin, daß sie das Fremde und Ungleiche, die Homogenität Bedrohende zu beseitigen oder fernzuhalten weiß. (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版)




シュミットの友敵理論における敵とはこの異質なものであり、友の同一化を強固にするためには異質なものが必要であり、政治とは異質なものを作り出す仕組みでもある[参照]。


政治的な行動や動機の基因と考えられる、特殊政治的な区別とは、友と敵という区別である[Die spezifisch politische Unterscheidung, auf welche sich die politischen Handlungen und Motive zurückführen lassen, ist die Unterscheidung von Freund und Feind]〔・・・〕


政治上の敵が道徳的に悪である必要はなく、美的に醜悪である必要はない。経済上の競争者として登場するとはかぎらず、敵と取引きするのが有利だと思われることさえ、おそらくはありうる。敵とは、他者・異質者にほかならず、その本質は、とくに強い意味で、存在的に、他者・異質者であるということだけで足りる[Der politische Feind braucht nicht moralisch böse, er braucht nicht ästhetisch hässlich zu sein. Er ist eben der andere, der Fremde, und es genügt zu seinem Wesen, dass er in einem besonders intensiven Sinne existentiell etwas anderes und Fremdes ist. ](カール・シュミット『政治的なものの概念』Carl Schmitt, Der Begriff des Politischen, 1932年)



フロイトの記述にあるように自我理想のポジションは理念でもよい。宇露戦争ファシズム図として次のようにおいておこう。



ーー事実上の、代理戦争ファシズム図である。

ヨーロッパで起きる次の戦争はロシア対ファシズムだ。ただし、ファシズムは民主主義と名乗るだろう。La próxima guerra en Europa será entre Rusia y el fascismo, pero al fascismo se le llamará democracia(フィデル・カストロ Fidel Castro、Max Lesnikとの対話にて、1990年)

我々は、西側が意図する、国際法ではなく彼らのルールによって動かされる世界を選ばなくてはならないかという問題だ。彼らは「ルールに基づく世界秩序」という表現を編み出した。西側の実際の行動を分析すれば、これらのルールがケース・バイ・ケースで違うことが分かる。単一の基準は存在しない。そこにはたった一つの原則しか存在しない。すなわち、西側が欲することには従え、さもなければ罰せられる、ということだ。これが西側の推進する「ルールに基づく世界秩序」の示す将来の姿だ。要するに、EU及びアジアの同盟国を自分の意志に従属させたアメリカの一極世界である。これは提案ではなく最後通告だ。(ラブロフ露外相 2022年7 月27日スピーチ