しかしキミたちは不思議だな、日本のラカン本を10年以上読んでて、ラカンの造語《外密[extimité]》がまだなんのことかわかってないなんて。仏語版のWikipediaにさえ書いてあるよ、ーー《外密という語は、フロイトの不気味なものの翻訳として使用された。Le mot d’extimité (…) est à l'époque surtout utilisé comme une traduction du unheimlich de Freud 》(仏語版Wikipedia)
|
最低限、「モノ=外密=異者=不気味なもの」がセットだよ。 |
|
親密な外部、モノとしての外密[extériorité intime, cette extimité qui est la Chose](Lacan, S7, 03 Février 1960) |
|
モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, ](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
|
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
そもそもフロイトは《不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.]》(フロイト『不気味なもの』第2章、1919年)としつつ、どっちも欲動蠢動って言ってんだからさ。
|
心的無意識のうちには、欲動蠢動から生ずる反復強迫の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。〔・・・〕不気味なものとして感知されるものは、この内的反復強迫を思い起こさせるものである。 Im seelisch Unbewußten läßt sich nämlich die Herrschaft eines von den Triebregungen ausgehenden Wiederholungszwanges erkennen, der wahrscheinlich von der innersten Natur der Triebe selbst abhängt, stark genug ist, sich über das Lustprinzip hinauszusetzen, gewissen Seiten des Seelenlebens den dämonischen Charakter verleiht,(…) daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann.](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年) |
|
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年) |
おい、こんなのわかってないなんて病気じゃないかい?
|
で、ラカンはセミネール7で既にモノはエスで、後年、現実界だって言ってるよ。 |
|
フロイトによるエスの用語の定式、(この自我に対する)エスの優越性は、現在まったく忘れられている。私はこのエスの確かな参照領域をモノ[la Chose ]と呼んでいる。[…à FREUD en formant le terme de das Es. Cette primauté du Es est actuellement tout à fait oubliée. …c'est que ce Es …j'appelle une certaine zone référentielle, la Chose.] (ラカン, S7, 03 Février 1960) |
ーー《フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ]》(Lacan, S23, 13 Avril 1976)
キミが病気っていうか、日本のラカン業界が病気じゃないかね。ボクはネットに落ちてるもの以外は一度も読んだことないからよく知らないがね。ボクの住んでる国で知り合いのフロイト派精神科医がいるんだが、テニス仲間でね、こんなの10年以上前から常識だよ。
「異者=不気味なもの=外密」ってのは自我外部にあってデモーニッシュだけれど、ーーラカン用語なら「象徴界+想像界」外部ーー実は親密なものということだよ。《不気味ななかの親密さ[heimisch im Unheimlichen]》(フロイト『ある錯覚の未来』第3章、1927年)
外立[ex-sistence]だって同じことだよ、「象徴界+想像界」の外に立つってことだーー《現実界の外立[l'ex-sistence du Réel]》 (Lacan, S22, 11 Mars 1975 )
大丈夫かね、日本のラカン本? なんか日本のラカニアンコミュニティは空気が澱んでるんじゃないかね。
ボクは今、酒飲んでるから、ちょっとシツレイなこと書いたかもしれないがね。しかしな、いくらなんでもこんなおバカなこときいてくんなよ