いくらか基本部分を復習しておこう。まずラカンの現実界の症状サントームは身体の出来事である。
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症状は身体の出来事である[le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps](Lacan, JOYCE LE SYMPTOME,AE.569,16 juin 1975) |
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この1975年6月の段階にはまだ現実界の症状であるサントーム概念がなかったが、引き続き1975年11月に初めてサントーム概念を提出し、続けて1976年2月にサントームは現実界だと言う。 |
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サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME. C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975) |
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サントームは現実界・無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome, …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient ] (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
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つまりサントームはジャック=アラン・ミレールの云う定義となる。 |
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サントームは身体の出来事として定義される[ Le sinthome est défini comme un événement de corps](J.-A. MILLER,, L'Être et l'Un, 30/3/2011) |
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そして身体の出来事はフロイトのトラウマの定義である。 |
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トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
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ーー《不変の個性刻印[unwandelbare Charakterzüge]》ともあるが、ラカンは現実界の症状について次の言い方をしていることを付け加えておこう、《症状は刻印である。現実界の水準における刻印である[Le symptôme est l'inscription, au niveau du réel.]》 (Lacan, LE PHÉNOMÈNE LACANIEN, 30. Nov.1974)。つまり私には、ラカンは『モーセと一神教』の上の文には触れないままながら、この文に依拠しつつ現実界の症状サントームを定義したようにしか思えないのである。 身体の出来事=トラウマ=固着(欲動の固着)は事実上、等価であり、現在、ミレール派(フロイト大義派)の傘下であるニューラカニアンスクール(NLS)では次のように定義されている。 |
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身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する。L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021/01) |
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サントームは固着の反復である。サントームは反復プラス固着である[le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06) |
このAlexandre Stevensのいってる《サントームは固着の反復である》は先の『モーセと一神教』のフロイトの言い方なら「サントームはトラウマへの固着と反復強迫である」のまさに簡略化であるだろう。
まずはここまでがサントームについての最低限の基本である。そしてラカンがセミネール24で「症状との同一化」と言ったのはサントームとの同一化である。
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分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである。 Alors en quoi consiste ce repérage qu'est l'analyse ? Est-ce que ça serait ou ça ne serait pas s'identifier… s'identifier en prenant ses garanties, une espèce de distance …s'identifier à son symptôme ? それは何を知ることを意味するのか? ーー症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。Alors qu'est-ce que ça veut dire connaître ? Connaître veut dire : - savoir faire avec ce symptôme, - savoir le débrouiller, - savoir le manipuler. (…) c'est là la fin de l'analyse. (Lacan, S24, 16 Novembre 1976) |
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ーー《ラカンは提言した、分析の終わりを症状との同一化によって(この症状は当時のラカンがサントームと名付けたものである)[Lacan a proposé de définir la fin de l'analyse par l'identification au symptôme (qu'il nomme alors sinthome).]》(Michel Bousseyroux Au commencement, le symptôme À la fin, le sinthome ou… ? 2015) ところでセミネール24の「サントームとの同一化」発言の直前にはこうある。
ーーこれがおそらく« 骨象 osbjet »なる文字対象a[la lettre petit a]ということになる。 なおラカンはこの《シニフィアンの起源[l'origine du signifiant]》に相当するだろうものをセミネール5では《母なるシニフィアン[le signifiant maternel]》と呼んでいる。
先にも示したように、サントームは母の名とは、より厳密にいえば、サントームは母へのトラウマ的固着であり、反復を引き起こすのである。
以上、ラカンがセミネール24で言った「サントームとの同一化しつつそこから距離を取ること」とは、「母へのトラウマ的固着と同一化しつつ距離を取ること」と解釈できる。 なおフロイトは同一化を次のような形で示している場合があることを附記しておこう。 |
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母との同一化は、母拘束を押し退ける[Die Mutteridentifizierung kann nun die Mutterbindung ablösen](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
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対象への欲動の拘束を固着と呼ぶ[Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung ](フロイト「欲動とその運命』1915年) |
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つまり母との同一化は母への固着を押し退けるのである。ただし、たんに取り入れ[Introjektion]という意味で同一化用語を使っている場合が多い。 ……………… ❖附記 なおフロイトは先に引用した『モーセと一神教』の、サントームの定義にとって核心的文だと思われる記述ーー《トラウマは自己身体の出来事[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper]》ーーの直後に次のように記している。
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特に「症例シュレーバー」の記述に現れているように、フロイトにとって欲動の固着は原症状なのである。そして後期フロイトにとって、この固着が無意識のエスの反復強迫を引き起こす。
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