2026年7月31日金曜日

ブチット・マドレーヌは女性器? あるいは女性器のレミニサンス

 

◼️フィリップ・ルジェンヌ「エクリチュールと性」

Philippe Lejeune, L'Ecriture et Sexualité, 1970より

長いあいだ、ブチット・マドレーヌはわたしを苛立たせてきた[Longtemps, la petite madeleine m’a irrité]。他の多くのプルーストの読者同様、「本質はここにあらず」と断言して、その身のほどを教えてやりたいと思っていた。わたしの癇にさわったのは、そこにこの挿話の根があるとにらんだ初歩的な心理主義だったが、しかしまたその磨きをかけた文章やら心の内面にかかわる家族がらみの詩的感興やらも、そこに一役買っていたようだ。だが何といっても、スプーンのなかでとけ崩れるこの菓子の、色あせた昔の匂いとそのスポンジ状の質感に、なにかそれがいかがわしい、ひょっとすると淫らなことでさえあるかのような居心地の悪さを覚えていた[j’étais gêné par l’odeur désuète et la consistance spongieuse du gâteau qui s’amollit dans la cuiller, comme par une chose trouble, indécente peut-être]。 わたしの苛立ちもおそらくは、この居心地の悪さをおし隠そうとしてのことでしかなかったのだ。

ところがある日、オヤッと思うことがあった。この挿話のすでに公表されている第一稿(『反サント = プーヴ論』の序文)は、プチット・マドレーヌのところが、一切れのトーストと単なるラスクになっていることに気が付いたのだ。何故だろう、この変化は? わたしは、両テクストを見くらべてみた。そのときからである、一連の探求がわたしのなかで開始されたのは。それはおどろきにつぐおどろきの連続だった。わたしが以下にのべるのは、この読解の物語なのである。〔・・・〕


マドレーヌ菓子はどのように描写されているか。


《溝の入った帆立貝の貝殻のなかに鋳込まれたかにみえる〈プチット・マドレーヌ〉と呼ばれるずんぐりして丸くふくらんだあのお菓子の一つ[un de ces gâteaux courts et dodus appelés Petites Madeleines qui semblent avoir été moulés dans la valve rainurée d'une coquille de Saint-Jacques (I, 45).》(「スワン家のほうへ」)


この描写は女性器のイマージュ[ image du sexe féminin」を連想させる。ずんぐり、丸くふくらんだ、鋳込まれた貝殻 = 弁、溝の入った[court, dodu, moulé, valve, rainure, coquille]、と一つとして女性器を思い起こさせない言葉はない。


その先でプルーストはもう一度この菓子の外観を叙べる。


《厳格で敬度な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、お菓子でつくった小さな貝の身[petit coquillage de pâtisserie, si grassement sensuel sous son plissage sévère et dévot (I, 47)》(「スワン家のほうへ」)


偶然とか、単に文に生彩をあたえようという美的センスだけで、このぼってりと官能的で襞のついた貝の身という、露骨に意図のすけてみえる諸要素がこれほど一堂に会しえたとは想像しにくい。マドレーヌは女性器の一つのイマージュになっているようなのだ[ La madeleine est comme une image du sexe féminin.


『囚われの女』におけるアルベルチーヌの下腹部の描写を思いうかべれば、その事情はいっそう明瞭になる。


彼女の下腹部は(男なら、壁から取外した彫像にまだ打ち込んだままのカスガイのようなもので醜悪になっている場所を包み隠しながら)、陽が沈んだあとの地平線のようにまどろんだ、安らぎをあたえる、修道院のような曲線をもつ二枚の弁(valve)によって腿の付け根のところで閉じていた。[son ventre (dissimulant la place qui chez l'homme s'enlaidit comme du crampon resté fiché dans une statue descellée) se refermait, à la jonction des cuisses, par deux valves d'une courbe aussi assoupie, aussi reposante, aussi claustrale que celle de l'horizon quand le soleil a disparu (III, 79).》(「囚われの女」)


ここでまたしても、あの宗教的気配(《修道院のような》は厳格で〈信心深い〉 襞を思いださせる)、あの同じ《弁 valve 》のうねり、貝の彎曲にお目にかかる。貝と女性性器のつながりは、弁〔valve〕いう語の使用によって表現されている(この語の背後に vulve〔外陰部〕という語が聞こえてくる)。プルーストは他にも何度か弁という語を使っているが、それがなかなか意味深長なのだ。

On retrouve ici la même atmosphère religieuse (le « claustral » rappelle le plissage sévère et « dévot »), et le même mouvement de « valve », la courbure du coquillage. L'association du coquillage et du sexe féminin s'exprime par l'emploi du mot « valve », – (derrière lequel on entend le mot vulve). On retrouve chez Proust d'autres emplois du mot valve, assez révélateurs. 

〔・・・〕

諸イメージを結晶化するのは、直接味覚のうえにではない。だが味覚のまわりにであることは疑問の余地がない。味覚は結晶作用の核である[la saveur est le foyer de la cristallisation]。マドレーヌ菓子とは何をするものか。食べる物である。


《すこしすると叔母は、その枯葉やしおれた花を賞味する煮立った煎じ薬のなかに、プチット・マドレーヌを浸して、ほどよく柔らかくなったところでその一かけらを私に差し出すのだった[Bientôt ma tante pouvait tremper dans l'infusion bouillante dont elle savourait le goût de feuille morte ou de fleur fanée une petite madeleine dont elle me tendait un morceau quand il était suffisamment amolli (I, 52).》(「スワン家のほうへ」)

〔・・・〕

より《詩的な》味覚の質的様相をさしおいて、このように母親との食物的ロ唇的間係を強調するようにわたしにしむけたのは、テクストでは他の二つの挿話がそれと隣接しておかれているからである。一つはそれまでに読んだ三頁の主要テーマをなしている夜のキスであり、その意図は顕在的に表現されている。もう一つは、凝りに凝った文章で書かれた、レオニー叔母の例の 二間つづきの部屋を想起するくだりであり、マドレーヌの菓子の最初の摂取も、まさにこの部屋でおこなわれている。


わたしはこの部屋で道草をくっていくことにする。それはうわべは装飾過多で幻想的でさえある描写の見本のようなもので、部屋が一箇の菓子、果物の砂糖煮を詰めた巨大な 《ショーソン》に変貌するのである。文体の戯れによって、まず匂いが、安心感をあたえる母親の特質をことごとく具備した女性へと変貌し、ついで人を包みこむ側面(外部との隔離、熱さ)[son aspect enveloppant (séparation d'avec le dehors, chaleur) ]と食物的側面(それは人がなかに浸っている食物である)[son aspect nutritif (nourriture dans laquelle on baigne)]という母親の主要な二つの側面[les deux aspects principaux de la mère]が(この隠喩の結晶作用に必要なあらゆる《要素》を物語のなかにすこしづつ導入していく巧妙な伏線を張りめぐらした後で)、いきなりただ一つのイメージへと統合される。


プルーストがその部屋を領している沈黙について、《nourrissant(『栄養がある」の他に「乳母の」という意味がある)》といっているのは偶然ではない。問題なのは偶発的な特質ではなく、乳母という本質的機能なのである。部屋と巨大なショーソン(パイ)が相似ているとも、テクストでは名を呼ばれることのないあるモデルとそれぞれに似通っているからであり、そのモデルとは、子供が《一種の大食的欲望 une sorte de gourmandise 》と《ひそかな渇望 une convoitise inavouée》と呼ぶ感情のうちに、その奥底のぬめりにまた身を絡め取られることを夢みる、庇護し授乳=栄養補給する母胎[le ventre maternel, protecteur et nourricier]のことなのである。


何故《ひそかな》なのか?……プルーストの《菓子類》 は取りあげれば立派に一個の研究論文となるべきものである。といっても料理研究の視点からではなく、単に世界とのロ唇的関係の特権的表象の一つとして論じるのだが。一瞬わたしは、こう体系化できないかという気がした、ショーソン(パイ)は内側から夢想するかぎりでの母胎を、マドレーヌは外側から夢想する母胎を表現しているのだと[le chausson représente le ventre maternel, tel qu'on le rêve dans son intérieur ; la madeleine, dans son extérieur]。もっともここでは、マドレーヌ菓子のエピソードは、とどのつまりは最初の乳房体験へとさかのぼる、母親との一連のロ唇的関係(食物、キス)の一環をなすのだというだけにしておこう[Mais je retiens seulement que l'épisode de la madeleine est pris dans une série de rapports oraux avec la mère (nourriture, baiser), renvoyant en fin de compte à l'expérience première du sein.]。

(フィリップ・ルジェンヌ「エクリチュールと性」川中子弘訳 ーー「ユリイカ」プルースト総特集、1987年所収ーー訳語をいくらか変更)





…………


①女性器は不気味なもの

女性器は不気味なものである。しかしこの不気味なものは、人がみなかつて最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。

das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. Dieses Unheimliche ist aber der Eingang zur alten Heimat des Menschenkindes, zur Örtlichkeit, in der jeder einmal und zuerst geweilt hat.


「愛は郷愁だ」とジョークは言う。そして夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器、あるいは母胎であるとみなしてよい。

»Liebe ist Heimweh«, behauptet ein Scherzwort, und wenn der Träumer von einer Örtlichkeit oder Landschaft noch im Traume denkt: Das ist mir bekannt, da war ich schon einmal, so darf die Deutung dafür das Genitale oder den Leib der Mutter einsetzen.


したがっての場合においてもまた、不気味なものはかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである。

Das Unheimliche ist also auch in diesem Falle das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung.

(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)


②抑圧された不気味なものの回帰=欲動蠢動=内的反復強迫

不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[Es mag zutreffen, daß das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第3章、1919年)

いかに同一のものの回帰という不気味なものが、幼児期の心的生活から引き出しうるか。Wie das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr aus dem infantilen Seelenleben abzuleiten ist〔・・・〕


心的無意識のうちには、欲動蠢動から生ずる反復強迫の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。〔・・・〕不気味なものとして感知されるものは、この内的反復強迫を思い起こさせるものである。

Im seelisch Unbewußten läßt sich nämlich die Herrschaft eines von den Triebregungen ausgehenden Wiederholungszwanges erkennen, der wahrscheinlich von der innersten Natur der Triebe selbst abhängt, stark genug ist, sich über das Lustprinzip hinauszusetzen, gewissen Seiten des Seelenlebens den dämonischen Charakter verleiht,(…) daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann.](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)


③不気味なもの=異者(異者としての身体)=エスの欲動蠢動=トラウマ=レミニサンス

不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年)

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 Fremdkörper のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ。〔・・・〕

これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛みを呼び起こし、例えばヒステリー症者は殆どの場合、レミニサンスに苦しむ。

das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss(…) als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz (…) der Hysterische leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


以上よりーー仮に女性器にポイントを絞ればーー、抑圧された女性器のレミニサンスとなる。