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ボクは教師でも臨床家でもないからな、でも少し関わったから一応は答えるがこれで最後だよ。 |
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現実界は明らかに、それ自体トラウマ的であり、基本情動として原不安を生む。想像界と象徴界内での心的操作はこのトラウマ的現実界に対する防衛を構築することを目指す。 The Real is apparently traumatic in itself and yields a primal anxiety as a basic affect. The psychical working-over of it within the Imaginary and the Symbolic aims at building up a defence against this traumatic Real. (ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, Does the woman exist? 1997) |
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ーーもちろんキミの言うように基本的には想像界と象徴界で防衛するんだよ。 でも少し前にも掲げたが、《「現実界」のように、まったく非意味のシニフィアン》の発明のすすめをラカンは言っている。 |
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いずれにせよ、私が主張したいのは、シニフィアンの発明は記憶とは異なるものだということだ。子どもがそのシニフィアンを発明するわけではない。受け取るのだ。そして、それこそが、もっと深く掘り下げる価値がある点なのである。なぜ新しいシニフィアンを発明しないのだろうか? 私たちのシニフィアンは常に受け取られたものである。 例えば、「現実界」のように、まったく非意味のシニフィアンなどを…… どうなるかは分からないが、それはおそらく実り多いものになるかもしれない。 Ce que j'énonce en tout cas, c'est que l'invention d'un signifiant est quelque chose de différent de la mémoire. Ce n'est pas que l'enfant invente ce signifiant : il le reçoit. Et c'est même ça qui vaudrait qu'on en fasse plus. Pourquoi est-ce qu'on n'inventerait pas un signifiant nouveau ? Nos signifiants sont toujours reçus. Un signifiant par exemple qui n'aurait - comme le Réel - aucune espèce de sens… On ne sait pas, ça serait peut-être fécond. (ラカン、S24、17 Mai 1977) |
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つまりS1-S2の連鎖がないリアルなシニフィアンだね。 |
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シニフィアンは、連鎖外にあるとき現実界的なものになる[le signifiant devient réel quand il est hors chaîne](コレット・ソレール Colette Soler, L'inconscient Réinventé, 2009) |
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例えば固有名の発明だ。 |
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固有名は、斜線を引かれた大他者のシニフィアンS(Ⱥ)と近似性があり、言語外にある[Le nom propre a des affinités avec ce signifiant de l'Autre barré [S(Ⱥ)]qui serait hors langue. ](J.- A. Miller, De la nature des semblants, 27 NOVEMBRE 1991) |
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固有名は、言語の一部であり、言語の内部にある。しかし、それは言語にとって外部的である…それは一つの差異体系(ラング)に吸収されないのである…言語における固有名の外部性は、言語がある閉じられた規則体系(共同体)に還元しえないこと、すなわち言語の「社会性」を意味する。(柄谷行人『探求Ⅱ』1989年) |
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これは「臨床ジョイス」の一種だろうよ。ほかにも明らかに外傷性障害を抱えていたプルーストは種々のシニフィアンを発明している、コンブレー、バルベック、ヴァントゥイユ等々。 あるいはモノとしての言葉。 |
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ラカンは言語の二重の価値を語っている。実体のない意味媒体と言葉のモノ性の二つである。Lacan fait référence à la double valence du langage, à la fois véhicule du sens qui est incorporel et de la matérialité des mots (ピエール=ジル・ゲガーンPierre-Gilles Guéguen, Parler lalangue du corps, 2016) |
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言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。(中井久夫「「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底」初出1994年『家族の深淵』所収) |
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これらがトラウマに対する現実界的な防衛となるなんて「まさか!」と思うだろうが、例えばうまくいっていないカップルが互いに愛称を発明して呼び合うようになると関係性が変わるらしいよ。 以上、テキトーだからな。 |